清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2025/06/11
聖書 イザヤ書 35章1~2節
この季節、教会では、「こども日・花の日」という行事があります。
6月の日曜日に計画されるキリスト教の行事で、この日のために、各自が花を持ち寄って礼拝堂に飾ります。
思えば、私達は嬉しい時も元気がない時も、花に助けてもらっています。
初めて会う人への挨拶や感謝、別れやお詫びの気持ちを伝える時、花束を贈るとその想いがまっすぐに届きます。
昨年亡くなられた星野富弘さんの作品に『サフラン』というものがあります。
「冬があり 夏があり 昼と夜があり/晴れた日と 雨の日があって
ひとつの花が咲くように/悲しみも 苦しみもあって/私が私になっていく」
この星野さんの詩は、今朝の聖書の言葉とつながっています。
今朝の聖書は、預言者イザヤの言葉です。
「荒れ野よ、砂漠よ、花を咲かせよ。野ばらを一面に咲かせよ。」
イザヤは過酷な時代で希望を抱けない人々に、時が来ればここ一面に咲く花を待ち望みつつ、今を生きていこうと呼びかけます。
今日も周りに、花が咲いています。
順調な時も、思い通りに行かない時も、その場に寄り添うように、花が咲いています。
私たちにも悲しいことや苦しいことがありますが、今日を大切にしていきたいです。
やがて、時が来れば、ここ一面に花が咲くことを待ち望む時だからです。
それだけなく、私たちは悲しみや苦しみに、一人耐えているのではありません。
イエスが共に担っておられることに、気付く時でもあるからです。
今日がその時となれば、悲しみや苦しみにあっても希望をもって歩んでいけます。