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2019/06/10 

校長のお話 6月

チャペル礼拝「神様からひと言」 マタイによる福音書10章16節(p18)

荻原浩という小説家がいます。
この人の作品に「神様からひと言」があります。
主人公は27歳の佐倉涼平で、彼は珠川食品という会社で働いています。
部署はお客様相談室です。
お客様相談室というと響きはいいのですが、要はお客さんの苦情処理係です。
珠川食品のヒット商品は先代社長が考案した「タマちゃんラーメン」だけです。その他の製品は他のメーカーのヒット商品をまねたものばかりなので、おいしくもなく、作り方も適当です。
そのためにお客さんからの苦情がひっきりなしにあり、お客様相談室は対応に大忙しです。
涼平は大学でロックバンドを組んでいましたが、運よく大手の広告代理店に就職しました。
ところが考えるよりも先に手や体が動いてしまう、思ったことはたとえ誰でもそのまま口にしてしまいます。
それが災いして会社を辞めさせられます。
当分は働かないでおこうと思ったのですが、衝動的に買った高いギターのローンと、共同生活をしていた女性がいなくなったので、家賃も自分で払わなければならず、しかたなく珠川食品に中途入社したわけです。
涼平は当初広告代理店に勤めていた経歴を買われて、販売促進課に配属されます。ところが、新製品のプレゼンテーションの席上で、考えるよりも先に体が動いてしまう、思ったことは誰にでも口にしてしまう、それをやってしまいました。
そのために入社4か月で、リストラ要員のための部署であるお客様相談室に異動させられたわけです。
作品タイトルの「神様からひと言」の神様とはお客様相談室に電話をかけてくる人たちのことです。
神様であるお客さんがやさしい声で電話をしてくるはずはありません。
電話の向こうから、怒り、そしり、嫌味、皮肉、愚痴、あてこすり、恨み、嘲り、に満ちた言葉が叩きつけられてくるのです。
お客様相談室の社員はそれを毎日聞かされることになります。
そうしたことが続くと、この部署に配属された人たちの多くは耐え切れなくなって辞めていきます。
会社もそれを狙って、やめてほしい社員をわざわざ配属するわけです。
当然、涼平は性格からしてすぐに辞めるだろうと思われていました。
ところがそうはなりませんでした。
それは先輩社員の篠崎さんが適切なアドバイスをしてくれたからです。
たとえば、電話で苦情をいう相手に、顔が見えないからと、椅子にふんぞり返って言葉だけの応対や謝罪をしても、相手にわかってしまうというのです。
たとえ顔が見えなくても、きちんと立って頭を下げて謝らないとダメだと教えられます。
このあたり高校3年生にとっては切実です。
推薦入試で大学や専門学校、そして就職試験を受ける時の感覚そのままです。
いい加減な気持ちだと、自己推薦文や特別指定校に提出する志望理由書に、いくら立派な言葉にして並べても、その文面から熱意が伝わるはずはありません。
個人面接の場合、面接をしてくれる相手はプロです。
そのプロの前で素人がいくらその時だけがんばって話しができたと本人は満足しても、本当のところをしっかり見抜かれます。
篠原は涼平に直接相手に会って謝る時には、申し訳ないとの気持ちを表すために自分が体験してきた痛みを思い出せと教えてくれます。
ところが、涼平は自分はこれまで痛みの体験などしてきたことがないと平然といい放ちます。
人が何の痛みも知らないまま生きて来ることなどできません。
この発言から、涼平のどこに問題があるのか、人間として何が欠けているのか、何がわかっていないのかが明らかになってきます。
涼平は長年一緒に暮らしてきたリンコさんがいなくなったのも、ケンカが長引いて帰ってこないだけだとごまかし、相手のせいにしてしまいます。
自分中心にしか物事を考えられないのです。
そういう生き方をしてきたために、しかもそのことに何の問題も感じないために、人として大切なことに気付かない涼平に対して、神様であるお客さんからかかってくる苦情の電話は、聞きたくない言葉、仲良くなりたくはない人の言葉、できれば無関係でいたい人の言葉であふれていました。
今までの涼平ならすぐに逆上してお客さんに暴言を吐いたことでしょう。
しかし、それをしてしまえば、住んでいる借家から追い出され、ギターのローンは返せなくなります。
ですから、致し方なく辛抱せざるを得なかったのです。
ところがそれを毎日続ける中で、涼平の内面が少しずつ変わっていきます。
ただうるさい、腹が立つしか思えなかった苦情の言葉の向こうに、その言葉を使う人の痛みや悲しみが、ふっと感じられるようになるのです。
痛みが少しずつわかるようになると、それまでとは違う見方ができるようになり、人間関係にも余裕が出てきます。
それまでならカッと来て相手を罵倒してきたのが、ふっと苦笑いも含めて笑ったり喜んだりできるようになりました。
涼平はいわば神様であるお客さんの言葉、その一言によって人間的成長をすることになりました。
この本を読み終えてわかるのは、本当の神様はお客さんではないということです。
神様の意思がお客さんの言葉となって涼平に語られ続けてきたと感じられるのです。
しかも神様は聞きたくない言葉や顔を合わしたくない存在を通して、働きかけてこられるということです。
繰り返しますが、周囲の様々な人を通して、時には見たくもない聴きたくもない言葉や出来事を通して、神様は私たちに働きかけてくださっているのです。
そのことに気づくなら、今日という1日が、そして今日から始まる1週間がとても意味ある時間になります。

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