清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2025/03/04
高校3年生が卒業礼拝前最後の担当チャペルで作文を読み、3年生一人ひとりの心にチャペルがとても大切なものとして残っていることが感じられました。
私たちはこのチャペルで讃美歌を歌い、聖書の言葉を読み、お話を聞いて、静かな時を過ごします。
それは自分自身と向き合う時です。
色々な思い煩いに悩んでいる自分をふっと解放してあげる時間です。
そうさせるのは讃美歌の歌詞の一言かもしれません。
その日の聖書の言葉がそうさせるのかもしれません。
お話のちょっとした言葉がそれをもたらすのかもしれません。
それぞれのやり方で私たちはこの所で神さまに出会います。
そして自分自身と向き合うのです。
神と言う存在に出会う時私たちは本当に自分と向き合うことができます。
神さまが私たちにとってどんな方なのかを知るとき、
私たちは疲れた心を解放し、癒され、安心して生きていくことができると思います。
今日の聖書箇所には「ぶどう」を用いたたとえが出てきます。
農夫である神さまはぶどうの木を一生懸命世話します。
聖書の神さまは自ら労苦して働いてくださいます。
決して、傍観者、実がなるかどうか見ていよう、という無責任な農夫ではありません。
イエスさまが自ら枝である私たちとつながって下さって、農夫である神さまがそれを育ててくださるのです。
つながる、とはただ近くに存在すると言う意味ではありません。
おたがいに入り込んでいる関係、深く結びついている関係です。
聖書の神さまは大きな存在で、私たち一人ひとりのことを見ていてくださる方です。
この神さまは私たち小さな枝一つ一つのために汗を流し、涙を流して労苦してくださるのです。
これが良い実なのかどうか、決めるのは神さまです。
真実は神さま目線で判断されます。
イエスさまの方がしっかりつながってくださるのに、私たちの方が先にあきらめてしまって良いのでしょうか。
イエス・キリストが私たちにつながって太い幹で支えてくださいます。
神さまが農夫のように私たちを育ててくださいます。
それは「ますます良い実を結ぶため」です。
いつも守られ、育てられていることに感謝して、あきらめたり落ち込んだりくさったりすることなく、日々自分のなすべきことを一つ一つ精一杯果たしていきましょう。
一人ひとりに「ますます良い実」が与えられると信じています。