礼拝の話

2020/06/02 

6月2日(火)聖書 使徒言行録 3章1節~6節 英語科 楢本

今日の箇所にはイエスさまの弟子であったペトロとヨハネが足の不自由な人を治す話が出てきます。

ユダヤ教では困っている人にほどこしをすることも大切な勤めとされていたので、その場所に座っていれば毎日いくらかの収入があったと思われます。

彼は自分でそこに来ることもできないので、「運ばれて」「置いてもらって」いました。

ペトロとヨハネが神殿にやってきて、この人の方をじっと見た時、彼はいつものようにいくらかのお金がもらえるものと期待しましたが、言われたのは意外な言葉でした。

「私には金や銀はない」『え~、何言ってるんだ、この人』と思う間もなく、「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。

そして右手を取って立ち上がらせると、すぐに足が強くなって歩けるようになりました。

彼は自分の足で歩きまわり、踊りまわって、神様を讃美しました。

この人がもらったものは最初に期待したよりも何倍もすばらしいものでした。

彼はもう神殿の門に運んできてもらう必要はありません。

そこでもらうわずかばかりのほどこしに頼って生活する必要はありません。

自分の足で働きに行くことができるからです。

この人が神殿の門の所に座って求めていたのは、わずかばかりのほどこしでした。

誰かが自分の足を直してくれることではありませんでした。

そんなことは考えたこともありませんでしたが、それが起こりました。

イエス・キリストの名によって、それが起こりました。

自分が歩けるなんて今まで思ったこともありませんでしたし、やってみたこともありませんでした。

でもできました。

右手を取られると立ち上がることができました。

全く今まで期待もしていなかったのに、立ち上がることができました。

私たちは時々、この足の不自由な人のようになっていないでしょうか?

生まれつき歩けないから、自分には無理だから、やってみたことがないから、苦手だから多分できない。

そうやって、そこに座り込んでしまっていないでしょうか?

そんな風にしていたら、差し伸べられた手が見えません。

あなたの右手をつかんで立ち上がらせようとしている人が見えません。

ペトロは、イエス・キリストの一番弟子でしたが、イエス様が逮捕されて十字架で死刑になる、と言う時に「そんな人は知らない」と3度も言って逃げてしまった過去がありました。

失意の内に故郷に帰って、漁師にもどっていたペトロの所に復活したイエス様が来てくださいました。

それはちょうど、何もかもあきらめて座り込んでいる人の所にイエス様が来てくださって、右手を取って立ち上がらせてくださったのと同じでした。

「イエス・キリストの名によって立ち上がりなさい」という言葉が私たちにもかけられています。

中間試験が発表になります。

私には無理、やってもできん、そうやって座り込んでいるあなた、勇気を出して立ち上がってください。

まず一歩踏み出さなければ何も始まりません。

来週からの試験に正面から取り組んで見てください。

必ず結果はついてきます。

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