礼拝の話

2020/07/03 

7月3日(金)聖書 ヨハネの黙示録 22章21節 国語科 田野

「文学作品の最初の部分」をどれくらい覚えているでしょうか。

夏目漱石の作品『吾輩は猫である』の最初の部分は「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」です。

逆に、文学作品の最後の部分を覚えている人は、どれくらいいるでしょうか。

たぶんほとんどいないと思います。

先ほどの『吾輩は猫である』の最後の部分は「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。難有い難有い。」です。

名前のなかった猫が、台所のコップに残っていたビールを飲んでしまいます。

そのことで、誤って水がめに落ちて、猫は一生を終えることになります。

この場面の最後に出てくるのが、先ほどの言葉です。

文学作品の最初の部分は、作品の世界に、読者を連れていってくれます。

「どうなっていくのか知りたい。」という思いから、読者は作品の世界に入っていきます。

魅力的な最初の部分があると、先の方まで読んでみたいという気持ちにさせてくれます。

一方で、文学作品の最後の部分は、その作品の世界を、読者が振り返るきっかけを与えてくれます。

魅力的な最後の部分は、読者がもう一度読んでみたいという気持ちにさせてくれます。

このように、「始まり」にも「終わり」にも、大切な意味があるのです。

「始まりがあれば、終わりがある。」

当たり前のことですが、なぜか忘れがちになります。

特に終わりのことは忘れてしまっています。

何も考えないで過ごしていると、あっという間に期限が来てしまいます。

そのとき、「終わり」のあったことを思い知らされるのです。

聖書にもやはり「始まり」と「終わり」があります。

『旧約聖書』の最初の部分・創世記には、「初めに、神は天地を創造された。」とあります。

そして『新約聖書』のヨハネの黙示録の最後の部分は、「主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。」と結ばれます。

世界にさまざまな災難がふりかかる様子が語られ、さまざまな災難の後、一つの終わりを迎え、新たな世界の始まりが告げられます。

そのことを語った最後を、今日の聖書の言葉で結びます。

さまざまな災難の中にあっても「すべての者」に「主イエスの恵み」があるように、いう祈りの言葉です。

このような祈りの言葉は、『新約聖書』にある手紙の最後の部分にも出てきます。

そのことで、一つの書物が、この上もなく長い手紙のようにも感じられてきます。

生まれた場所も、生まれた時代も違うところから届けられた分厚い手紙。

それも「すべての者」にあてられた手紙です。

そこにある言葉は、日々の困難の中でも、私たちが安心して歩んでいけるようにしてくれます。

聖書の言葉に守られながら、今日も、それぞれの目標、終わりを意識した過ごし方をしていきましょう。

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