礼拝の話

2019/04/18 

チャペルウィーク4日目4月18日(木)聖書:申命記6章4~5節 校長 小西二巳夫

今日は「祈る」ということについてお話します。
キリスト教は「祈ること」「お祈り」を大切にします。
新約聖書には「祈る」という日本語に訳した言葉が全部で74回出てきます。
4つのギリシャ語、プロセコウマイ(祈る)、エウカリステオー(感謝する)、エルロゲオー(賛美する・祝福する)、デオマイ(願い)を「祈る」と訳しているからです。
けれど「苦しい時の神頼み」という“お願い”にあたるデオマイは新約聖書に4回しか出てきません。
ということは、キリスト教で「祈る」というのは、日本人が考える神さまに自分のお願いを聞いてもらうことだけではない、むしろその方が少ないということです。
「祈る」と訳したプロセコウマイには“聴く”という意味があります。
このことからはっきりするのは、キリスト教の「祈る」の最大の目的は「神の声を聴く」ということです。
神さまの言葉を守ることが、結果的に自分の願いをきいてもらうことになるわけです。
神の声が聴こえるとしたら、それは大声ではなく小さい声でしょう。
祈る人になる、というのは内側から聴こえてくる言葉と自分が対話するようになり、きちんと考えることができる人になることです。
祈ることによって、どのような自分になっていけばいいのかが見えてきます。
清和において祈る、つまり神さまの声を聴くとの具体的な場面はどこでしょうか。
それは今、この時間です。
この時間を通して、自分という存在をしっかり形成していく、作っていくのです。

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