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2019/02/26 

チャペル礼拝 校長のお話 2月

「一番残念なのは人間」              ペトロの手紙Ⅰ 4章10節 

NHKの番組に「ダーゥインがやってきた」があります。

この番組のコンセプトは一言でいうと「すごい」です。

弱いと思っていたいきものにはそんな能力があるのか、その生物が生き残ってきたのは、そういう知恵を働かせていたからだ、と知った時の驚きです。

その時に思わず口をついて出るのが、「へえっ、すごいなあ」です。

このように動物や植物などの生き物を紹介する番組は「すごい」という面から見たものが多いと思います。

その中で違う見方でいきものを紹介する本があります。

タイトルは「ざんねんないきもの事典」です。

このタイトルのように、ちょっと残念に感じてしまうところから、いきものを紹介しています。

残念というのは、もうしそうでなかったら、どんなにかよかったのに、あ~もったいない、といた感覚です。

でも、「ざんねんないきもの事典」を読んでいて思うのは、アホやなあと思いながら思わず笑ってしまうのです。

そのいきものに愛おしさを感じのです。

それはこの本を作った今泉忠明さんが、いきものついて愛情ある書き方をしているからです。

残念にもいくつかのジャンルがあります。

「ざんねんなこだわり」「ざんねんな体」「ざんねん能力」、そして「ざんねんな生き方」です。

「ざんねんなこだわり」に出てくるのがラッコです。

ラッコというとお腹の上に石を置いて、そこに貝をガンガンたたきつけてわる、あの場面を思い浮かべます。

その時に使う石にこだわりがあります。

お気に入りの石があって、それでないとダメなのです。

たいていはわきの下にはさんで持ち運ぶのですが、それを何かの拍子になくすと、そのためにうまく貝を割れなくなり、時には食事も満足にできなくなるとのことです。

「ざんねんな体」で代表的なのが蚊です。

たいていの人は蚊を見ると、条件反射的に手をたたいてつぶそうとします。

これは思い込みからくる行動です。

蚊の主食は花の蜜や樹液です。

でも蚊を見ると血が吸われると思います。

血を吸うのは産卵前の栄養を必要とするメスだけです。

しかも血を吸うと体が重くなりうまく飛べません。

そのためにコウモリなどに食べられる危険性が高くなります。

そこで一番災難なのはオスです。

人間の血を吸わないにもかかわらず、問答無用につぶしにかかられるからです。

私が一番身につまされる、つまり自分のこととして受けとめないといけないと思わされるのが「ざんねんな生き方」に登場してくるいきものです。

チンパンジーですが、これは顔の筋肉が人間と同じように発達して表情がよく出ます。人間はまさにそうなのですが、相手の表情を見ながらコミュニケーションをとります。

チンパンジーはその時に相手の顔色をうかがうという、自分より強い相手には愛想笑いをするとのことです。

ゴリラやオランウータンは友好的ですが、チンパンジーはもともと好戦的、ケンカ好きで、群れの中で誰が一番強いかをいつも気にします。

そこでケンカに自信のないオスは強いオスの前では愛想笑いを浮かべて、機嫌を損なわないようにしているのだそうです。

こんな生き方をしていて毎日が楽しいとは思えません。

ということは、逆に相手と自分を比べようとする気持ちを自分の中から追い出すことによって、自分を縛りつけているしんどさから自由になれるということです。

最強の肉食恐竜として有名なティラノサウルスは、化石から痛風で骨が変形したような跡が見つかっているそうです。

肉を食べすぎると尿酸という物質が体にたまり、歩けないほど痛くなります。

これが痛風です。

ライオンなどは尿酸を分解できるのですが、恐竜にはできませんでした。

痛風になるのは人間の場合、98.5%が男性、女性はわずか1.5 %です。

痛風はアルコールの飲みすぎや肉などばかりを食べることが原因です。

史上最強のティラノサウルスもお酒好きのおじさんと同じ悩みを抱えていたということです。

「残念な生き方」から気づかされるのは、他のいきものと人間の残念さの違いです。

多くのいきものの結果が残念に思えるのは、それは一生懸命生きたからです。

そこには納得できるものがあります。

愛おしさが湧いていきます。

しかし人間の残念は、それだけの力や才能や環境が与えられながら、そのことに気づかず、あるいは大切にしない、そういうやらないで済まそうとする結果だということです。

そこには決定的な違いがあります。

今日の聖書もそのところをいっているのです。

ここに出てくる賜物というのは、神から与えられた力、才能、そして環境などです。せっかくのものを使わないで、それであなたはいいのですか、そういう人生でいいのですか、と問うているのです。

それでは自分も周りも幸せになれないでしょう、というのです。

そこにもなお「ゆるし」があります。

賜物をしっかり使わないお前はダメだと、決して切り捨てられてはいないのです。

それでもなお、愛おしい存在として、神はイエス・キリストを通して受け入れているというのが、キリスト教の考え方です。

だからこそ、ゆるされていることを自覚しながら、与えられた賜物をしっかり使う自分になっていきたいのです。

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