清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2018/12/03
チャペル礼拝「とりあえずウミガメのスープを仕込もう」
マタイによる福音書8章23~26節(p14)
「とりあえずウミガメのスープを仕込もう」という不思議なタイトルのエッセイがあります。
ある雑誌に連載していた食べ物にまつわる関係する話を集めて編集した本です。
その中に「一番好きな料理」という話が載っています。
そこを読んでいて思い出したのが今年の3月まで16年間暮らしていた新潟のことです。私の住んでいたところから町の中心に行くには空港通りという道を通ります。
その空港通り沿いに高3担任の青柳先生の実家の「レストハウス青柳」があります。新潟の高校の男子生徒、特に運動部の生徒はレストハウス青柳の唐揚げ定食が大好きでした。
おいしくてボリューム満点だったからです。
そういうこともあって、高校生は親しみを込めて青柳食堂と呼んでいました。
レストハウス青柳を通り過ぎてもう少し走って、信号を左に曲がって住宅街に入ったところに一軒の喫茶店がありました。
2階建ての外側に階段がついていて、それを上がったところがお店になっていました。
住宅の中にあるのであまり知られていません。
店の名前をクレモナといいます。
クレモナというのはイタリアの、バイオリンなどを作ることで有名な町の名前です。
お店のアンプやスピーカーはなかなかのもので、そこから流れる音もなかなかでした。おじさんが1人でやっていました。
おじさんはもともとからお客商売をしていたとは思えません。
いわゆる愛想はそれほどよくありません。
注文を聞く時の決まり文句以外の言葉がけをされたことは16年間一度もありませんでした。
それでも時々入ったのは、クレモナのコーヒーはとにかくおいしかったからです。
妻も一緒に行くことが多かったのですが、妻は出されるお水がやさしい味がするといつも感心していました。
クレモナには3種類のランチがありました。
キノコの和風パスタ、ナポリタンとペペロンチーノ、その横にサラダとフルーツ、それと大きなカップに入ったスープと、別にホイップクリームがけのチョコレートケーキにコーヒーがついて700円です。
これで採算が取れるのかと心配になるような値段でした。
私がエッセイ「とりあえずウミガメのスープを仕込もう」から思い出したのが、スープのおいしさです。
とにかくやさしいのです。
やさしさが一口飲むと体の隅々にしみわたるような感じがするのです。
クレモナのスープはゆっくり味わいたくなるので、自然と食べるペースがゆっくりになります。
スープに使われている材料が何かといえば、ランチの値段が、これでやっていけるのだろうかと心配するように安いわけですから、特別なものが入っているとは考えられません。
人参、玉ねぎ、ブロッコリー、大根などの一般的な野菜が中心です。
スープの種類はミネストローネ、中華風と変わるのですが、何でこんなにおいしさが引き出されるのだろうかと、毎回感心させられました。
ある時おじさんがスープを作っている様子を想像してみました。
こんな感じだろうと思いました。
野菜をゆっくりていねいに切っていく。
それをじっくり炒めて、多からず少なからずのお塩とコショウをふる。
しんなりした野菜に、やさしい味のお水を静かに注ぎグラグラと沸騰させないように沸かしていく。
そして浮いてきたアクをていねいにすくい取る。
豪華な材料と調味料や香辛料をふんだんに使って作られるおいしいスープがあります。
クレモナのスープのおいしさはそれとは違い、ごくありふれた材料を、じっくり時間をかけて作ることによって生まれるおいしさです。
はじめにおじさんはあまり愛想がよいとはいえないといいました。
もう少し詳しくいうと、お店に入ると、ゆっくり立ち上がって「いらっしゃいませ」。次にグラスに氷を入れて持ってきて、「どうぞ」。
席に座った時にはたいてい何を食べるか決めています。
そこですぐに注文をしようとすると、「ちょっと待ってください」と注文伝票を取りにレジに戻る。
その度にせっかちな私は心の中で突っ込みを入れてしまいます。
「お水のグラスと注文伝票を一緒に持ってきたら」。
3種類のパスタから注文します。
するとかならず返ってくる言葉があります。
「お飲み物は何になさいますか」。
私は16数年間通って、ランチの時にホットコーヒー以外のものは頼んだことがありません。
ですからふつうは「お飲み物はいつものものでいいですか」とか「ホットコーヒーでいいですか」となると思うのです。
でもいつも「お飲み物は何になさいますか」でした。
でもある時気がついたのです。
急ぎもせず、同じペースで動作や言葉を続けられるからこそ、細胞の隅々にまでしみわたるようなやさしさとおいしさが引き出され、思わず小さな幸せを感じるスープを食べさせてもらえることに。
クレモナのスープはごく普通に見える材料から最大のおいしさを引き出します。
そのためにおじさんはたくさんの時間を使い、手間暇をかけて作ります。
それは清和の学校生活そのものです。
一人ひとりに神から与えられた素晴らしさを引き出すために、あれこれとせかすのではなく、時間をかけます。
時にはせかしたくなる、さっさとしなさいとの言葉を飲み込んできました。
清和は他の学校ではあり得ない、そうした態度姿勢をなぜ持とうとするのでしょうか。
それは自分たちが待ってもらった、ゆるしてもらったことが前提にあるからです。
神様に待ってもらっている、ゆるしてもらっている、と信じているからです。
清和の学校生活、教育はそこから始まります。
それでは幸せな清和の学校生活に、今週もじっくり取り組みましょう。