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2019/07/24 

学園報「入試特大号」を発行しました

校長先生新しい学校で男子教育をしては絶対だめですよ

 昨年の2月、新潟の高校を辞めて高知に来ることになった私に、教師の1人が告げたのが上記の小見出しの言葉です。私はこう答えました。「新しい学校は女子校やで。いくら男子校の雰囲気がするといわれる私でも、女子校で男子教育はできんやろ。ははあん、そうか私が共学にしようとしていると思うてるな、それはないな」。するとコテコテの関西人のちょっとずらしたようなこの返答が気に入らなかったようで、その教師はさらに続けました。「これだから関西人はやりにくいんです。校長先生、男子教育と女子教育の違いとその関係をもう一度学び直されたらどうですか。でも先生がこの学校でいわれ続けてきたことや書かれてきたことは、女子教育をベースにしたもののはずですよね」。えらくきびしい送別の言葉でしたが、腹は立ちませんでした。むしろ15年間、私が目ざした教育が何かをきちんと受けとめてくれていたのだと、うれしくなりました。

明治以降の日本の教育は男子教育です

 明治時代になり富国強兵の国策が始まりました。西欧をはじめとする諸外国と対等に渡り合い侵略をゆるさないためには、国家を背負う人材を育てることが急務と考えられました。そこで学校教育制度が整えられ、学問をすることに「勉強」という言葉が用いられるようになりました。勉強は読んで字のごとく強いて学ばせることです。たとえ無理強いをしてでも、知識やリーダーシップを持った人を育てようということでした。子どもたちは知育・体育などにおいて強くなること、勝ち抜くことが求められました。結果を出せるか出せないかによって人の価値が決められました。能力主義の教育です。こういう形で日本の近代教育は始まりました。ただしその対象となったのは男子です。ですから日本の教育の主流は男子教育と呼ぶことができます。そうした中でキリスト教の宣教師などによって○○英和女学校と名づけられた女子教育の学校があちこちに作られました。高知にも高知英和女子学校が一時できました。女子教育というと良妻賢母を育てるとの先入観がありますが、本来は、物事を自分で考えそれを言葉できる生きる力を持った人を育てることにありました。

日本の教育は戦後も変わらず男子教育です

 日本の教育は戦前のお国のためのものから、戦後は日本国憲法や教育基本法による個人のためのものへと180度変わりました。しかし教育の基本的な部分は変わりませんでした。受験教育などによる競争教育は逆に激しくなっていきます。男子校でだけでなく共学校そして女子校でも、いわゆる男子教育が行われるようになっていきます。女子校=女子教育の学校とは限らないのです。男子教育が本質として持つものは、勝ち負けにこだわらせ、少しでも上を目ざさせ、がんばらせることです。1人を型にはめ込み追い込む教育です。これに対して女子教育は1人ひとりを集団ではなく個で見る教育です。強さではなく弱さを大切にする、人格を否定しない教育です。想像力と感性を養う教育です。キリスト教の本質は人をどこまでも個として受けとめることにあります。その人がそこにいること自体に何にも勝る価値があり、そこに存在することで他の人を何らかの形で支え助けることになると考えるのがキリスト教の人間観です。女子教育=キリスト教教育となり、それは男女のジェンダーを超えた人間教育です。男子校であろうが共学校であろうが、人間教育を中心にする学校は女子教育をしているということができます。

清和はこれからもジェンダーを超えた女子教育を行っていきます

 清和の教育はアメリカ人のアニー・ダウドがさまざまな痛みと悲しみを抱えた2人の少女と出会うことから始まりました。出発から今に至るまでの119年間、清和は一貫してキリスト教による人間教育を行なってきました。物事を自分で考え自分の言葉を持つ人になる女子教育を行なってきたのです。清和はある時期に小人数教育に徹することを決断します。それは個を大切にする教育、その人の持つ良さや生きる力を引き出すためには、そして自己肯定感を持った人を育てる女子教育を行なうためには小人数でなければならないと判断したからです。清和はこれからも、女子教育を行なう学校であり続けるとの決意と自覚を持って日々の教育に携わっていきます。

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