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2019/04/09 

学園報「新年度号」を発行しました。

本校学園報2019年度の初刊「新年度号」4月8日に発行されました。

清和には不思議な空気があります

コロッケさんは右耳が不自由
ものまね芸人の「コロッケ」といえば知らない人はまずいません。知られていないのは右耳が聴こえないことです。ものまねをする人にとって聴力のよさは不可欠と思っていました。コロッケさんのものまねの特徴はレパートリーの幅の広さです。ただ似ているだけではなく、思わず笑ってしまうアイデアでいっぱいです。コロッケさんがものまねで大切にしているのは想像力だそうです。耳が聴こえないから、目で見て音を想像する。この人はどんな声で喋るのだろう。この人はこわい顔をしているけれど、実は甲高い声をしているかもしれない。そんな風に想像すると楽しくなる、それがものまねのベースになっているとのことです。「もし右耳の聴力を失っていなかったら、自分はものまね芸人にはなれなかった、こんなに長くやれることもなかった。自分にとって難聴は神様からの贈り物です」とコロッケさんは自らを語られます。ないほうがよいと思いこんでいるハンディキャップが、自分を生かし成長させてくれる大きな力になるわけです。

しゃべりが下手な私
私は3人兄弟の真ん中で、兄と弟はいわゆるできのよい子どもでした。話も上手でした。それに対して私は思いをうまく言葉にできない子どもとして育ちました。私が牧師になる時に母はいいました。「しゃべりの下手なあなたが牧師になるとは、神様のされることはわからんわ。」その私が30数年前に札幌の教会に転任した時のことです。教会には手話通訳のエキスパートがおられました。しばらくしてその方を頼って耳の不自由な方が日曜日の礼拝に出席されるようになりました。その方に礼拝の話を伝えるためには手話通訳してもらわなければなりません。そのためには原稿を事前に手話通訳者に送らなければなりません。聴覚の不自由な方に複雑な言い回しは伝わりません。できるだけわかりやすい表現を使うことが求められます。ダラダラした話では理解されません。ある時、健聴の方からいわれました。「先生の最近の説教、ずいぶんわかりやすくなりました。安心して聴いていられます」。聴覚の不自由な方の存在が、私をそれなりの牧師に育ててくれたのです。

1タラントンは60年分以上の生活費と考えられる
新約聖書に「タラントンのたとえ」があります。主人から5タラントン、2タラントン、1タラントンを預けられた人たちの中で、1タラントンの人が激しく叱られるという話です。彼が叱られた理由は、預けられた1タラントンを使わなかったからです。彼は自分にはそれを使うだけの能力がないと考えたのです。タラントンはギリシャ語です。芸能関係者を表すタレントの語源です。お金の単位で、1タラントンは一家4人として16年以上の生活できる金額です。1人なら4倍の60数年分になります。平均寿命が30歳前後の当時なら、一生かかっても使いきれないほどのお金、つまり能力や才能を与えられているということです。この話はそれを前提に書かれています。有り余るほどの持を与えられながらそれを使おうとしなかったことがもどかしくて、主人は叱ったのです。そこに、自分はダメだと思いこんでいる人を何とかしてやりたいと思う主人の愛情を感じます。ですから、この話は叱ることで終わっていますが、後日談が考えられます。大切なことに気づいた人がどのように変わったか成長したのかの話です。

弱さを否定しない空気
清和の教育はその後日談から始まります。1タラントンの人が自分に与えられた才能や能力に気づき、それを使い始めることができるとしたら、それは自分の弱さを受け入れられるようになった時です。それはコロッケさんが聴覚の不自由さを真正面から受けいれることで、才能を開花させたことからも明らかです。さらに、私が自分の弱さを受け入れてもらったことで、それなりにやれる自分に変わることができたとの体験からも確かなことです。清和には、その人が自分の弱さと否定するものを、逆に大切なものとして受け入れる空気があります。誰もが強さと共に弱さを持っています。強い人でも必ず弱い時があるのです。その弱さを否定しない空気の中で学校生活を過ごしていると、安心して自分を出せるようになるのです。それによって自分に与えられた「生きる力」や「学ぶ力」を表に出すことができます。そこに清和の教育の何ともいえないよさがあります。新しい年度も、その空気がますます充満する学校を目ざしたいと考えています。

 

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