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2020/07/09 

学園報6月号 巻頭言

写真集「ジブリ美術館ものがたり」から清和の教育が見えました

アイフォンでジブリ美術館を撮りました
東京郊外に「三鷹の森ジブリ美術館」があります。19年前にできました。作ったのは「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」などのアニメで有名な宮崎駿監督です。この美術館に入るためには、前月の10日に事前予約をしなければなりません。方法はそれだけでので、すぐにいっぱいになります。それもあって以前から展示物や建物を撮った写真集を出してほしいとの要望が多くありました。写真集を出したい出版社もいくつもありました。でもこの19年間、宮崎駿監督はオーケーを出しませんでした。それが今年の3月に出版されたのです。タイトルは「ジブリ美術館ものがたり」です。写真を撮ったのはタイの若い女性のカンヤダさんです。彼女はプロのカメラマンではありません。しかもプロ用の高性能カメラではなくアイフォンで撮ったというのです。スタジオジブリの人たち映像のプロです。ですから写真には厳しい見方をするはずです。その人たちが素人のしかもアイフォンで撮った写真に感動したのです。

写真から祈りが伝わってくる
カンヤダさんは三鷹の森美術館の展示物や建物をどのように撮ったのでしょうか。一言でいうと子どもの目線です。子どもなら、こんなふうに見るのだろうという見え方の写真を撮ったのです。それが宮崎駿監督やスタジオジブリの関係者にはたまらなくうれしかったのです。鈴木さんというプロデューサーがそれを次のように表現しました。「カンヤダさんの写真には教会の雰囲気がある、写真から祈りが伝わってくる」。
写真から祈りが伝わってくるというのはどういうことでしょうか。

キリスト教は祈りを神との対話と考えている
新約聖書には「祈る」と日本語に訳した言葉がたくさん出てきます。多いのは4つのギリシャ語を日本語に訳す時に「祈る」としたからです。祈ると訳された言葉には、それぞれ「感謝する」「賛美する」「お願いする」「聴く」のニュアンスを持っています。祈りというと神社やお寺で願掛けをするように、お願いを思い浮かべる人が多いはずです。しかし新約聖書の「祈る」にお願いが当てはまるのは数ヶ所だけです。断然多いのは聴くに当てはまる言葉です。神の声を聴くを「神との対話」といい換えることができます。会話ではありません。会話は一般にお互い差しさわりのないやり取りをすることです。討論というのもあります。これは自分の考えや意見を相手にいうことです。そのために感情的にもつれることもあります。会話や討論は人数が多くいてもできます。対話は、一対(いっつい)二対(につい)との漢字から考えても相手は一人か二人でしょう。対話に欠かせないのは相手の考えや存在を否定するのではなく受け入れることです。このように考えると、スタジオジブリの関係者がカンヤダさんの写真から祈りが伝わってくるといった意味がわかってきます。カンヤダさんは写真を撮る時、彼女は被写体と対話をしているのです。相手を大切にする気持ちを写真に撮ることはできないはずです。でも写せないはずのものが写っているように見える、そこに見る人に感動を与えるもがあるのです。さらにカンヤダさんの写真が見る人の心を揺さぶるのは、対話の相手である被写体が一番とってほしい姿を見せる、ということが目に見えない形で起こっているからではないでしょうか。それがあるから、カンヤダさんの写真を見ると誰もが楽しくなるのです。

神との対話が自己肯定感を取り戻す
祈りがあり対話がある。それは清和の学校生活そのものです。清和の一日は祈りから始まります。朝の職員室での打ち合わせは祈りから始めます。全校礼拝では全員で心を合わせて祈ります。帰りのホームルームでも一日の反省をしながら祈ります。清和は小人数教育の学校です。小人数にしたのは対話ができるからです。人の数が多いと対話ではなく一方的な話になってしまいます。そこで学校を対話できる環境に整えるためには小人数にしているのです。神との対話は他者との対話につながり、コミュニケーションへとつながります。社会と対話をするようになります。様々な出来事に関心を持つ人になっていくのです。神との対話は一番避けていた相手と対話する力を生みます。一番避けていた対話の相手とは自分自身です。対話は相手を受け入れることです。言い換えるなら自己肯定感を持った人になることです。自分が受け入れられることほど幸せなことはありません。それが可能になる清和の学校生活は誰にとっても幸せな毎日と考えます。

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