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2019/10/10 

校長の話 10月 映画「記憶にございません」から考える 創世記8章20~21節

今から43年前のことです。
日本の首相が汚職事件で逮捕されました。
ロッキード事件といいます。
その時に、ある企業の責任者が国会で証人喚問をさせられることになりました。
証人喚問に呼ばれて、質問にウソをついたら偽証罪になります。
そこで何といったかです。
「記憶にございません」。                                       「記憶にございません」によって追及を逃れようとしたのです。
この言葉が当時の流行語になりました。
それから以降、政治家や企業の責任者が公の場で困った時に、このフレーズが使われるようになりました。
「記憶にございません」をタイトルにしたコメディー映画が今上映されています。
43年前の「記憶にございません」を下敷きにしていますから、当然政治をテーマにしていることがわかります。
それも政治が国民のために行われていないことを皮肉る映画であることがわかります。
私も2週間ほど前に見ました。
主人公は記憶喪失になった127代目の総理大臣、首相です。
首相の黒田啓介、とにかく人気がありません。
支持率は史上最低の2.3%です。
国民からは「史上最悪の首相」と呼ばれています。
そう呼ばれるにはそれだけの理由があります。
黒田首相、知れば知るほど悪徳政治家だということがわかります。
国民のための政策は行わず企業などのトップと手を結んでろくなことをしていません。黒田首相が街頭演説をするとヤジが飛んできます。
ある時ヤジと共に石が飛んできました。
運悪くそれが頭にあたって病院に運び込まれました。
ところが目を覚ました時には記憶を失っていたのです。
現職の首相総理大臣が記憶喪失になったのでは大変なスキャンダルです。
政治生命は終わります。
そこですぐ近くで働く3人の首相秘書官はひた隠しにします。
そこから次々に騒動が起こります。
黒田首相、記憶は失ったのと一緒に悪い考えも失ったようです。
いつの間にか国民のことを考えるまともな首相になっていきます。
アメリカ大統領が来日した時のことです。
大統領は農産物の日本への輸出拡大を目論んで「関税の引き下げ」を強引に迫ります。ところが会談直前に国内のサクランボの生産を守るように陳情に来ていた農家の差し出したサクランボを食べたのを思い出します。
そして宣言しました。
自分には日本の生産者を守る責任があると、関税引き下げをしっかり拒絶します。
これは春に来日したトランプ大統領から「関税引き下げ」について、日本の首相は8月ごろにはいい答えをしてくれるだろうとの発言に、何も反論をしなかった今の首相への皮肉のように聞こえます。
そして、首相の仕事は国民の生活を守ることにあるとの願いを込めた言葉として響いてきました。
記憶を失った首相が始めたこと、それは政治の仕組みを一から勉強すること、そしてどのような政策が多くの人の幸せになるかを考えることです。
そこで先生として小学校時代の恩師を呼びます。
黒田首相、何も初めから悪徳政治家になろうとしたわけではありません。
国民のために、それも苦しい生活をしている人、生きづらさを抱えている人を助けたい、救いたいという使命感を持っていました。
黒田首相は中学生の時、みんなのリーダーになりたいと思いました。
でも突然自分がそれまでとは違うまともなことを言い出したり、いい行動をとったのでは変な目で見られ疑われる。
そこでサッカーボールが頭にあたったら、自分が変わっても、ボールが頭にあたったからと納得してもらえると、作文に書いたことがあります。
それがいつの間にか悪い誘惑に負け悪徳政治家になってしまったのです。
ただ首相になってからも、今の自分ではダメ、変わらないといけない、との願いを持っていたのでしょう。
それが、石が頭に当たり記憶喪失になるということで実現したといえます。
実は黒田首相の記憶は、夜中にお腹がすいてキッチンでごそごそしている時に、お手伝いさんが泥棒かと思ってフライパンで頭を思い切り叩いた時に戻っていたようです。
でもそれを誰にもいわず、あるべき政治を目ざしました。

多くの人が自分自身を変えたい。自分への周りの見方を変えたい、との願いを持っています。
しかしそれがなかなかうまく実現できないのはなぜでしょうか。
黒田首相ができたのはなぜでしょうか。
それは彼が権力者、力の強い人たちではなく、そうではない人たち、貧しさや痛みという弱さを持った人たちの方に視線を移したからです。
自分の弱さを自分でしっかり見ると同時に、悲しみや苦しみのために声にならない声を上げている人たちを隣人として大切にしようとしたからです。
それは生きていいてよかったと思える毎日を過ごすためには、隣人を自分のように愛することが第一だと語ったイエス・キリストの言葉と重なります。
この時期、個人的な事情や自然災害によって痛みや悲しみを背負いながら暮らしている人がいます。
その人たちに関心をもつ、祈る、そうしたことを続ける中で、自分を変えるようで出会い、黒田首相でいえば、石に当たる、フライパンで叩かれる、サッカーボールが当たるような、出会いがあるということです。
そう考えると、今日一日がとても大切に思えてきます。

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