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2019/11/25 

校長の話 11月 チャペル礼拝「幕末まらそん侍」ヤコブの手紙Ⅰ章2~4節 賛美歌210

先週の金曜日・土曜日、全国のキリスト教の学校が集まる会議に出席しました。

場所は群馬県の前橋市です。

群馬県、どこにあるかをすぐに思い浮かべることのできる人少ないと思います。

それもそのはずです。

群馬県の知名度は全国48都道府県の中で下から2番目3番目だからです。

高知から群馬の前橋に行くには、飛行機、モノレール、新幹線などに乗り継ぎます。

時間がかかるのは面倒ですが、私にはこういう時の楽しみがあります。

それは本が読めることです。

いつもは読みかけて、何か用事が入って途中でそのままになることがよくあります。

でも電車などに乗っている時は中断されることがありません。

先週も何冊かの本を持っていきました。

まず読み始めたのがタイトル「幕末まらそん侍」です。

理由は2つありました。

1つは武士がマラソンをするとは何だろうとタイトルに興味を持ったからです。

もう1つは、清和ももうすぐ清和ランがあると思ったからです。

新幹線で読んでいる最中に、あっと気がつきました。

それは「幕末まらそん侍」がこれから向かう群馬県の話だったからです。

1853年にアメリカのペリーが4隻の黒船で浦賀沖にやって来ました。

それは長い間鎖国を続けてきた日本にとって大きな出来事でした。

開国を迫るペリーの要求を受け入れるか、拒否するかで日本中が大騒ぎになりました

それは群馬にある安中藩という小さな藩も同じでした。

殿様の板倉勝明は、何もしないでいたら自分の藩もどうなるかわからない。

今すぐできることは何かを考えました。

そこで思いついたのが、家来に遠足をさせることでした。

とおあしは「遠足」と書きます。

遠足というと、今は学校の行事で遠くに出かける、校外学習ことをいいます。

出も昔の「とおあし」は遠くに行くことは同じですが、歩くのではなく走ることです。

今でいうマラソンです。

殿様はお城から山の中腹にある神社まで30kmを走らせることにしたのです。

しかも平らな道ではなく、途中から急な登り道が続くというコースです。

家来の体と精神を鍛えようというのです。

殿様の命令ですから体の調子が悪いとか用事があるからなどの言い訳は通用しません。

幕末まらそん侍は、マラソンを走る家来のそれぞれのエピソードが書かれています。

こういう行事になると必ず積極的になる人とそうでない人が出てきます。

その典型が黒木弥四郎と片桐裕吾という若い家来でした。

2人の違いは際立っていました。

黒木は何事にもまじめに取り組むタイプでした。

片桐はやる気を見せません。

必ず文句をいいます。

できるならやらないで済まそう、どうしたら手抜きができるかを考えるタイプでした。

でも、今回の30km走では何とか勝とうとします。

それは1番になれば、殿様の5番目の娘と結婚できると考えたからです。

ただそのために練習をして体を鍛えるのではなく、ズルをして勝つ方法を考えます。

そこで事前に当時の乗り物であった籠や馬を用意し、近道も見つけておきます。

ズルする方法を必死に考えて、そのためにお金も使います。

変な熱心さがあります。

対照的に黒木は毎日まじめに体を鍛え練習に取り組みます。

長距離を走るのにふさわしい走り方を習得します。

マラソンの終盤で2人は先頭争いをします。

言葉を交わす中で、それまで知らなかったお互いのことが次々にわかってきます。

黒木が何事にもマジメに取り組んだのは何でもできる片桐に憧れていたからでした。

少しでも追いつきたい、そのためにはマジメにやるしかないと考えていたのです。

これには片桐もびっくりします。

適当な人間と自分でも思う自分を、憧れあこがれの目で見てくれる同僚がいたのです。

さらに驚いたことがあります。

黒木が1番になりたい理由は片桐が殿様の娘をお嫁にできるよう願い出るためでした。

自分のためではなく、他人のためにがんばろうということでした。

しかし片桐は黒木がなぜそこまで自分のことを考えてくれるのかわかりませんでした。

黒木はいいました。

片桐は仕事の遅い自分のために時々手伝ってくれたというのです。

片桐にすればそれは黒木の仕事が遅ければ自分も家に帰ることができないためでした。

黒木は走っている最中に片桐がしたことも指摘しました。

片桐が黒木を抜いて少し前を走っている時に浮いている石を踏みそうになりました。

追いかけてくる片桐がその石を踏んで転べば自分が勝てることは間違いありません。

でも思ったのです。

そこまでして、気持ちのまっすぐな黒木に勝っても何もうれしくない。

自分が余計に情けなくなる。

そこで後戻りをして、石を脇にどけたのを、追いかけてきた黒木が見ていたのです。

片桐は黒木とのやり取りを通して考えました。

最初から正々堂々とやった方がよかった。

そしてもう一つ、走ることは、こんなにも自分の気持ちを健やかにするのだ。

片桐は黒木と出会い、黒木を知ることによって、本来の自分に出会います。

素直さを取り戻しました。

すこやか、という言葉を漢字にすると健康の健です。

走ることは健康になりますが、それは体・肉体が健やかになるだけではないのです。

心の中が健やかになるのです。

走ることの意味は、むしろ体ではなく心が健やかになることにあります。

1日24時間です。

これは変わりません。

その1日をうっとうしい気持ちで過ごすのか、それとも健やかに過ごすのかです。

それは自分にとって、そして周りの人間にとってまったく違います。

清和ランという少し長い距離を走るのも健やかさを知ってもらうためです。

グズグズした気持ち、ごちゃごちゃしたことも、汗を流すと一緒に流れていきます。

まあ、いいかと、思えるようになるからです。

私は1週間に2,3回スポーツジムで10㎞走るのも、それが大きな理由です。

さらに清和は走る前に礼拝をします。

礼拝の中には出会いがあります。

生きる力、元気になる言葉、気づきに出会うことがあります。

素直になれるチャンスが礼拝にはあります。

お祈りをするのは、お祈りによって、まあいいかと、気持ちが楽になるからです。

今日も新たな気持ちで清和ランの練習に取り組みましょう。

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