礼拝の話

2020/06/04 

6月4日(木)聖書 ローマの信徒への手紙 8章28節 国語科 古口

私たちがしばられやすい基準に「人からどう見られるか」という考え方があります。

「人から好かれるために」また「人から嫌われないために」どうしたらいいか、無意識に考えています。

しかし、すべての人によく思われることはあり得ません。

だから、この基準にしばられすぎると苦しくて、身動きが取れなくなってしまいます。

最近、私は大切にしたいある基準を見つけました。

それは、「その選択をした自分を好きになれるかどうか」「自分を好きでいられる行動は何か」という考え方です。

約束を守る自分と守らない自分がいたら、どちらの自分をより好きになれるでしょうか。

人を思いやることのできる自分と心のとげとげを前面に出してしまう自分、するべきことをしている自分と後回しにしている自分がいたら、どちらが自分の好きな自分でしょうか。

人に好かれるためではなく、好きな自分でいるためにできることをする。

これが大事なのではないかなと思います。

今日の聖書箇所には「万事が益となるようにともに働く」とありました。

これは「神さまはどんな選択も最終的にプラスに変えることができる方だ」ということです。

時には嫌いな自分でしかいられないこともあります。

自分の選択がうまくいってないと感じ、今がマイナスとしか思えないようなつらいときもあります。

そういうときにも、「神さまは最終的にすべてをプラスにできる」という聖書の言葉があるから、希望を失う必要はありません。

私たちは目の前の小さな世界しか見ることができませんが、神さまにはもっと大きな世界が、もっと長いスパンで見えているからです。

どんな選択もプラスになるのだとしたら、私たちが悩みながら一つのことを選択していく意味は何でしょうか。

それは「悪くはない自分」「ちょっと好きな自分」を毎日少しずつ積み重ねていくためではないかな、と思います。

その積み重ねが自分を肯定的に受け入れたり、世間の正解に流されない自分の軸を作ったりすることにつながります。

テストまでの期間は、自分を好きになる選択をする機会がたくさん与えられている期間だと思います。

できていないことや、できなかったこと、テストの結果ばかりに目を向けがちですが、できたことに目を向けてみるのはどうでしょうか。

授業中寝なかった。提出物を仕上げた。小テストをクリアできた。目標に近づく努力ができた。

できたことがあるということは、そんな選択ができた自分がいるということです。

そういう自分をちょっといいなと認めつつ、積み重ねていける一週間を過ごせたら、テストの結果以上に価値のあるものを手に入れられる気がします。

今日一日を、自分が好きでいられる自分を選びとっていける一日として過ごせるといいなと思います。

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ