礼拝の話

2020/06/05 

6月5日(金)聖書 エレミヤ書 29章11節 家庭科 青柳

私の人生の中で、1番泣いた「失敗」は高校受験です。

第1志望の公立の高校を受験した私でしたが、合格することができませんでした。

併願で合格していた私立高校での親子面接の際、高校生活で頑張りたいことを問われ、勉強について答えた私に面接の先生が言った言葉があります。

「学校は勉強だけをする場所ではない。ここでの学校生活が、あなたの人生の中で大きな出会いになります。たくさんの出会いと経験を通して成長する場にしてください」という言葉でした。

学力の評価に価値を感じていた私には、大きな衝撃でした。

その言葉の通り、私はそこでの学校生活を通して多くの友人や先生と出会い、部活動や、何気ない学校の日常生活の経験を通し、目標ができて教員を目指すきっかけとなりました。

公立高校を落ち、当時は大きな絶望の中にいましたが、それは私に大きな成長をもたらせてくれました。

自分の思い描いていた人生よりももっと良いものでした。

文字を見た通りの意味だけでなく、異なる方から違う意味に読み取れるものをアンビグラムと言います。

私たちの人生の中にはたくさんの出来事、たくさんの失敗があります。

物事の見方や角度を変えれば、違った捉え方ができるのです。

「失敗」することは誰しも避けたいものですが、失敗のない人生なんてないと思います。

失敗は見方や捉え方を変えれば、成長や成功につながるものだと私は思います。

失敗を恐れチャレンジしないことよりも、失敗は成長や成功の側面の持っていると思えたら、失敗への恐怖や不安が少し軽減されるのではないでしょうか。

高校受験に失敗した私は、今、その失敗を自分の人生の中の大切なターニングポイントであり、欠かすことのできない出来事だと思っています。

今思えば、高校受験は成功していたのだと思います。

受験に失敗した時は、明るい未来など想像もつかなかったし、まさか教員になるとも思っていませんでした。

キリスト教に出会い、遠く離れた高知県のキリスト教の学校に勤めるなんて想像もしていませんでした。

ふとした瞬間に第1志望の高校に受かっていたらどうなっていたかなと想像することがあります。

それはそれで、楽しい人生かもしれません。

しかし、私にとってのベストな人生は高校受験に失敗したからこその、この人生なのだと思います。

今日の聖書箇所には、「わたしは、あなたのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」とあります。

皆さんは学校生活の中で、たくさんの失敗をすると思います。

勉強のこと、友達関係のこと、部活のこと…たくさん悩んでたくさん失敗していいと私は思います。

それは、見方を変えれば、自分の人生において、成長において必要なこと、次の成功につながる神様に与えられた大切な事柄だと思うからです。

私たちの身の回りに起きる出来事や、交わされる言葉、文字には様々な側面があります。

物事を一方から見てすべてを判断するのではなく、他の角度から見るとまた違った何かが見えてくるかもしれません。

何かに行き詰まったり、悩んだりしたときは、角度を変えて見てみましょう。

新しい発見があるかもしれません。

 

アンビグラム 「失敗」「成功」

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