礼拝の話

2020/07/17 

7月16日(木)聖書 コロサイの信徒への手紙 3章14節 国語科 古口

今朝の聖書の箇所は、私の好きな聖書の言葉の1つです。

「絆」という言葉からは、人と人との結びつきを表す、明るくあたたかいイメージが湧いてきます。

なんとなく人にとって大切にしたいもののような気がします。

しかし、漢字の成り立ちから考えてみると、「絆」という字は糸偏に、2つに分かれたものと角のある牛の象形文字で、本来、牛などの家畜を繋ぎとめ、束縛するための綱のことだったということです。

「家族の絆」という言葉もありますが、家族も選ぶことができません。

生まれた時からその家庭につなぎとめられ、その家庭の考え方やルールに縛られて私たちは育ちます。

しかし、「家族の絆」を大切なものだと受け止められるとしたら、それは一番近くで苦楽をともにするその時間の中で、縛られていることへの受け止め方が変化していくからではないでしょうか。

そのもの自体は変わらないのに、そのものに意味や価値を見出せるようになったとき、私たちのほうのものの見方が変えられていくということです。

この「縛り」を私たちに与えるのは誰でしょうか。

大自然を前に何もできない人間に災害を与え、私たちの希望も聞かずに一人ひとりの生まれる家を決めるのは誰でしょうか。

それは聖書の神さまだと私は思います。

神さまは人間に理解できないようなことや、悪いと思われるものを私たちに与えます。

意味が分からず苦しむことや、納得できず恨むことも起こります。

それでも、すべてのことをプラスに変えられる力を持っているのが神さまです。

私たちは神さまのこの力に信頼していくしかないのです。

私は中2の担任をしていますが、学級通信の名前は「11人いる!」です。

同じタイトルの漫画があり、「さまざまな国からやってきた11人が、非常事態を乗り越えようと力を合わせ、信頼関係を築き合いながら友情を培っていく」という物語のテーマやクラスの人数が11人であるということとの重なりから、この名前を付けました。

タイトルの説明として、こんな言葉を書きました。

「この清和で、このクラスで、たまたま出会ったように見える11人。まだ知らないことも多い11人。これからどんどん変わっていく(つまり成長していく)11人。みんな違う個性豊かな11人。違うからこそ、1人ではわからなかったたくさんの発見や気付きがあります。1人ではできなかったり心細かったり自信がなかったりすることも、誰かが一緒なら勇気を出せることがあります。同じように、あなたがいることで勇気を出せる友達がいます。11人がお互いにそんな存在として支え合えたらいいなという願いを込めて『11人いる!』という名前にしました。」

これは中2に限ったことではなく、どの学年にも言えることだと思います。

人数の多い少ないではなく、その中に結びつきをもった一人ひとりがいる、ということです。

その中には気の合う人も、気の合わない人もいます。

なかなか学校に来られない人もいます。

それでも、「○人いる」ということの意味や価値を見つけていけるものであればいいなと思います。

時に私たちを縛っているように見える神さまから与えられた「絆」の正体は、神さまの「愛」です。

神さまに選ばれてここにいる一人ひとりは、愛されていて、その愛に繋ぎとめられています。

その「縛り」の中で、自分と相手を優しく受け入れる心をもつことのできる人でありたいと思わされます。

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