礼拝の話

2025/01/23 

1月15日(水) 聖書 ローマの信徒への手紙 14章1~3節 社会科 山脇

以前は今日1月15日が成人の日でした。

今は年末年始の帰省時期に合わせて成人式を行う地域もあります。

ある程度規模の大きい市や町では、成人の日かその前日の日曜日に成人式を行うのが一般的ですので、成人式一つとってみてもそれぞれ地域差があることを感じます。

地域差ということで見ると、お正月に食べるお雑煮にも地域差を感じます。

我が家では元日の朝には必ずお雑煮が出ていました。

シンプルなお雑煮でしたので、子どものころは「これだけ?」と思ったりもしましたが、結局、お餅を2つ3つ食べるので、それだけでお腹が一杯になります。

今は新年を新潟で過ごすことが多いのですが、新潟のお雑煮はとにかく具沢山です。

お雑煮の地域差でよく言われるのが、使うお餅の違いと、汁の違いです。

一般的には東日本は角餅、お醤油ベースの汁、西日本は丸餅、お味噌を溶いた汁を使う地域がある、ということが違いとしてあげられます。

そう考えると、私が子どもの時に食べていたお雑煮は東日本に多く見られるお雑煮だということに気づきました。

うちだけ違うのかと思って色々調べてみると、高知県では丸餅よりも角餅の方が一般的だということが分かりました。

なぜ高知県では角餅なのか、これはあくまで推測ですが、戦国時代から江戸時代へと時代が移り変わる時に、土佐の支配者が長宗我部氏から山内氏に代わったことが影響しているのかもしれない、と勝手に推測しています。

「地域差」というと、どうしても過疎化や首都圏と地方都市の経済格差というイメージが思い浮かびますが、伝統や風習という視点で見ると、その違いや差があるということは、様々な文化が見られるということでもあります。

その地域の差は、気候の違いや長い時間をかけて育まれてきた地域の風習、昔からの言い伝え、伝承などによって生まれてきたものでしょう。

そのような差、違いが社会を豊かにしているのだと、改めて思わされます。

だから、「差がある」ということは何も課題ばかりではないと思います。

今日の聖書箇所には、違いがあること、差があることを裁いてはいけないということを教えてくれています。

違いがあること、差があることは、神の恵みがそこに現れるためです。

その違いを認め合うこと、差があることで軽蔑したり裁いたりしないことが神の求めていることであり、神の求める平和が私たちの間で実現することにつながるからです。

弱さやいたらなさを持つ私たち一人ひとりの存在を、それでも神は受け入れ、独り子であるイエス=キリストをこの地に遣わせてくださったのだから、私たちも裁くのではなく互いに受け入れましょうとパウロは力強く語ります。

違いがあること、差があることは、見方を変えれば豊かさのあらわれです。

全てが同じ、違いを認めない、差を認めない社会は、ある意味窮屈で、一歩間違えれば危険な状態とも言えます。

新しい年が始まりましたが、日々の歩みを進めるなかで、違いがあることの豊かさを楽しみながら、新たな発見のある歩みとなることを祈ります。

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