礼拝の話

2020/01/09 

1月8日(水)3学期始業礼拝 聖書 ヨハネによる福音書 21章4~7節 校長 小西二巳夫

大晦日の紅白歌合戦で「上を向いて歩こう」が歌われました。

今から60年近く前の1961年に作られた曲で、アメリカのヒットチャートで唯一日本の曲で1位になり、世界中で一番よく知られている曲でもあります。

この曲が世界中で歌われる理由は、聴いたり歌ったりすると励まされ元気が出るからです。

それも「がんばれ」という感じの押し付けではなく、「あなたはそれでいい」といったゆるされた気持ちになれるからです。

私はチャペルの裏に住んでいますが、真っ暗な中庭に立ち星や月を見上げていると、自分が慰められているように思えてきます。

失敗や悩みが受け止められ、ゆるしてもらえるような気持ちになります。

そういう心境になった代表が今日の箇所に登場するペトロという人です。

ペトロは周りからイエスの一番弟子と思われている人でしたし、本人もそのことにプライドを持っていたはずです。

イエスに「私に何かあったらお前はどうする」と尋ねられた時も自信満々に「私はどこまでもあなたについて行きます」「死ねといわれるなら、立派に死んで見せます」と答えます。

ところがイエスが捕まえられた時、怖くて何もできず、「この人はイエスの弟子だ」と言われた時、思わず「そんな人は知らない。私は何の関係もない。」と3度もいってしまいます。

ペトロは怖くて何もかも否定するしかなかったのです。

ペトロが逃げ隠れしている間にイエスは十字架に架けられ死なれました。

数日後、後ろめたさから故郷に戻っていたペトロにイエスは姿を現されたのです。

いったい何のためにイエスは裏切ったペトロに姿を見せられたのでしょうか。

ペトロがそれまで恐れていたのは、世間の無責任なうわさや自分に対する悪口など、自分が周りからどう思われているかということ、そして無実のイエスを捕まえ十字架につけた権力です。

自分が本当に恐れなければならないのは、そういう力ではないということに。復活したイエスに出会って気づかされたのです。

復活したイエスは権力者の力に、それよりも強い力を使って勝たれたのではありません。

ペトロはイエスを裏切った後ろめたさで下を向いて生活していたはずです。

自分に対するイエスの言葉から自分がゆるされていることを確信し、ペトロの中で大きく変わったことがあります。

それは目をそらしてきた自分の弱さを厳しく見つめられる人になったことです。

罪のためにうつむきながら生きようとしていた人が、ゆるされた喜びの涙をこらえるために、顔をしっかりあげて歩く人に変えられたのです。

顔をしっかりあげて歩くというのは堂々と生きる、積極的に取り組むということです。

イエスのゆるしは、今を生きている私たちにも向けられています。

私たちには捨てることができない弱さがあります。

本当は恐れなくてもいいものを恐れる弱さ、自分自身を不幸な方向へと導く弱さです。

その弱さを復活のイエスが共に背負ってくださっているのです。

そのことに気づき、それを喜ぶなら、私たちはどのような時にも胸を張って、上を向いて生きていくことができるようになるのです。

3学期、自分の課題から逃げず、真正面から取り組んでいきましょう。

取り組む力がイエス・キリストによって与えられていることに気づきましょう。

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