礼拝の話

2021/01/18 

1月13日(水)聖書 詩編90 編10節・12節 日本キリスト改革派 高知教会 小澤寿輔牧師

新しい年を、皆さんはどのような気持ちで迎えたでしょうか。

新しい目標を持つ、新しいことに挑戦する、新年というのは、去年までの古い自分から新しい自分に変わるための一番良い時なのではないでしょうか。

今年1年、「自分はどこへ向かって生きるか」ということを考えてもらいたいと思います。

昔、ある学生に老人が尋ねた本当の話です。

「君はどんな人生を歩みたいのかね?」

学生は「まず法律大学を卒業します」と答えます。

老人はさらに、その後について学生に問いかけます。

学生は「弁護士になってお金をもうける。家を建てて車を買う。きっと結婚をするだろう。」などなど答えます。

老人はその度、その次を問いかけ、「私のように年をとって、その後は?」と尋ねます。

若い学生は答えることができず、心の中で考えました。

「いつか僕は息を引き取るだろう。そして僕の葬式が行われ、僕のお墓が立つだろう。それからは…」と。

何も答えられないその学生に、老人は言いました。

「その後は裁きです。その後は永遠です。イエス・キリストのうちには永遠の命があり、イエス・キリスト以外には永遠の滅びがあるのです。」

その声はとても優しかったけれど、学生は、心に刺し込むような老人の言葉を忘れることができませんでした。

「その後は永遠です」という言葉によって、彼は苦しみました。

そして、彼は、法律大学から別の大学に転校することを決心しました。

そこで聖書の勉強をして、彼は素晴らしい牧師になったそうです。

この学生は、老人に会うまでは、自分のためだけに生きる道を歩んでいました。

その人生の行きつく先は、永遠の滅びだと聞き、彼は、イエス・キリストと共に歩む決心をしました。

誰も死ぬことを避けることはできませんが、なるべく長く生きることを願って、人は病気を治す医療技術を発展させたり、薬を開発したりすることで、平均寿命を長くすることに成功しました。

それはとても感謝なことですが、私たちは、ただ長生きできれば、それでよいのでしょうか。

本当に大切なのは、生きられる年数が長いことではなくて、限りある人生を「どこに向かって生きるか」、「どのように生きるか」ということではないでしょうか。

私たちは、どうすれば正しい方を向いて生きることができるのでしょうか。

1つは、自分の生涯がすべて神の手の中にあることを信じることです。

もう1つは、今日も生かされていることを神に感謝して、今という時を大切に生きることです。

それは、「私を生かしてくださっているのは神さまなのだから、今日も神さまに喜ばれることをしよう」と考える生き方です。

そのようにして、神と共に、神中心に生きるとき、たとえ寿命が短かったとしても、それは神に喜ばれる人生になるのです。

そして、それは、自分にとっても幸福な人生になるのです。

人は皆、どこかへ向かって歩み、そして、いつかはその終わりにたどりつきます。

そのとき、神さまに「よくやったね」と言っていただけたら、嬉しいですね。

神に喜ばれる人生を、神から知恵をいただきながら歩んで行きましょう。

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