礼拝の話

2023/01/27 

1月16日(月) 聖書 出エジプト記 20章4~7節 校長 小西二巳夫

鴨長明という鎌倉時代の人物がいます。

鴨長明の有名な本に「ゆく河の流れは絶えずして」で始まる「方丈記」があります。

鴨長明は恵まれた家庭に生まれ、何不自由なく育った人でした。

周りの誰もが鴨長明の才能を認めていましたが、物心がつく年齢になる頃から不運なことが続いたり、もう少しのところで結果が出せなかったり、大きな自然災害や人災にたて続けて5回見舞われ、そうした自分の人生を不運で不幸だとしばしば嘆きました。

それに加えてもう1つ、鴨長明の不幸なことは、自分を周りから必要とされない人間だと思い込んでいたことでした。

そういう自分がこのまま死んでいくとしたら、いったい何のために生まれてきたのだろうか、と考え始め、そしてむなしさとで胸がいっぱいになり、悔しさも募ってきて、自分がどのように生きてきたのか、何を考えてきたのか自分で書いてやろうと、いわゆる自分史として書くことにしたのが「方丈記」でした。

この「方丈記」がある時から脚光を浴びるようになりました。

それは2011年3月11日に起こった東日本大震災と福島第一原発事故です。

その後も、日本は毎年のようにどこかで大きな地震が起き、超大型台風や並外れた大雨によって土砂崩れや洪水が起こるようになり、多くの人の命が失われ、それまで築いてきたものを奪われる不幸で不運なことが頻繁に起こるようになりました。

こうした状況が800年前の方丈記の時代とよく似ているというわけです。

そこで、そうした時代の中に生きた鴨長明が何を考えたのか、何を大切にしたのかを知ることが、今の時代を生きるための大きなヒントになると考えられて、方丈記が脚光を浴びることになったのです。

鴨長明はあくまで「方丈記」で自分の人生や自分の思いを書いたのです。

ところがこれを読んで多くの人が共感することになり、励まされ希望を持ちました。

方丈記が教えてくれるのは、自分の存在の小ささを自覚することの大切さです。

そして、その自覚がどうにもならない状況を生き抜く大きな力になることです。

聖書は方丈記よりもっと古い時代のものです。

そして、方丈記と同じように今の時代に生きる私たちのことが書かれています。

聖書の中には様々なタイプの人たちが出てきます。

特にダメだと思える人、こんな人とは近づきたくない、付き合いたくはないという人がよくでてきます。

そして、それは誰か他の人ではありません。

私自身のことだということです。

つまり聖書は小さな私たちのことが書かれているのです。

そして、自分の存在の小ささをしっかり自覚することによって、誰もが生き辛い社会や生き辛い人生に負けることなく、満ち足りた人生を送ることができることを教えてくれるのが聖書です。

人間の間違いのほとんどは自分の存在を大きく見せようとすることから起こります。

それが戦争を引き起こします。

気候変動を招き環境破壊につながっているのです。

自分の小ささを知ることはダメなことでもなく恥ずかしいことではなく、その人がその人らしくなることなのです。

それをしっかり自覚することが、今何より私たちに求められているのです。

神が求められているのです。

その求めにしっかり応える生き方を自分自身で考えることが求められているのです。

この求めに応えるために、私たちは日々学んでいるのです。

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