礼拝の話

2021/01/20 

1月20日(水)聖書 マタイによる福音書 7章12節 日本キリスト改革派 高知教会 小澤寿輔牧師

「聖書の教えの中で最も有名な箇所は?」と聞かれたら、どの箇所を挙げるでしょうか。

その中の1つに今朝の御言葉があります。

人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。

これは、「黄金律」と呼ばれます。

なぜならそれは、多くの宗教、道徳や哲学にも見出される、倫理学的言明、また「内容が深くて、人生にとってこの上なく有益な教訓だから」とも言われるからです。

世の中では、これによくよく似た格言を耳にすることがあります。

ユダヤ教では、「あなた自身の憎むことを、あなたの隣人にしてはならない」と教えます。

儒教の開祖と呼ばれる孔子も、「己の欲せざるところを、人に施すなかれ」と教えます。

イスラム教は「自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えないことである」と教えます。

日本でも「人の嫌がることをするな」とか、「人に迷惑をかけるな」とよく言います。

これらの格言は、常識的な戒めとしてよく耳にしますが、これらはどれも「消極的」なのです。

言いたいことは、「人に害を与えるようなことをしない」という教えです。

つまり「相手に対してマイナスの行為をしていたのをゼロにする」というだけです。

それでしたら、当たり障りなく過ごすことはできるのかもしれませんが、相手に全く関心を示さず、無視して生きることだってできてしまいます。

それでは、人間同士の「関わり」というものが全く生まれず、「無関心でいればそれで良い」ということになりかねません。

イエス・キリストの黄金律は、これらの格言とは全く異なり、「積極的な」教えです。

人々の立場に自分自身を置いて、「自分だったら何をして欲しいか」ということを「人々にしなさい」というのです。

「人に害を加えない」というゼロの状態を保つのと、「積極的に愛の手を差し伸べる」というプラスの行為をするのは、全く別のことなのです。

さらに、この律法が「黄金律」と言われるわけは、道理にかなった分かり易さにあります。

「自分にして欲しいことは何か」「他の人からどうされたいか」と自分に問いかけて、それと同じことを相手にしてあげるのです。

この「黄金律」を、私たち一人ひとりが自らの生活に取り入れるならば、私たちの心と、私たちの生活は、大きく変わるでしょう。

では、どのようにすれば、「黄金律」が教えるように生きることができるようになるのでしょうか。

これは、「隣人を自分のように愛しなさい」というイエス・キリストの教えと同じで、「お互いに愛し合いなさい」ということです。

「愛」というのは、受けたり注いだりするもので、私たちは、愛をためる「器」のような存在です。

たくさん注がれて、器が満たされると、外に流すことができるのです。

「器」は、無限に愛を注いでくださる神から満たしていただかなければ、愛を流すことはできません。

神から愛をいただいたときに、初めて隣人に注ぐことができるのです。

ですから、まず、イエス・キリストに目を向けましょう。

イエス・キリストに捕らえられた人は、愛が注がれて、自分もまた愛に生きて、周囲の人たちとの間に「愛の交わり」を作り出す者とされます。

私たちも、そのような「愛の交わり」を作り出す者となることができます。

ただ、注いでいただけば良いのです。

神に対して、器を大きく備えて、愛をいっぱいに受け取りましょう。

神の愛で満たされましょう。

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