清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2021/01/21
グローバル化が叫ばれ、かなりの時が経ち、私たちは瞬時に海外の情報を手にし、世界中とネットワークでつながる世界で生きることになりました。
100年前だったら、全く知らずに過ごすはずだった世界中の情報を、リアルタイムで、一瞬で知ることができる反面、あまりに情報が多すぎて、本当に知らないといけないこと、本当に考えないといけないこと、本当に大切にしなければならないことから離れていってしまっているようにも思います。
世界中で紛争があり、命の危機を感じて生活している人々、飢えて亡くなる子ども、世界中で学びたくても学ぶことができない子どもは減りません。
私たちはどうでしょうか。
今朝、爆撃や襲撃で命の危機を感じて朝を迎えた人はいるでしょうか。
餓死するほどの空腹を覚えたことがある人はいるでしょうか。
行きたくないなぁと思いながら学校に来ることはあっても、自分が望んでも学校に通えない現実に出会ったことはあるでしょうか。
私たちは何によって、希望を見出すのでしょうか。
今、この時、命の危険にさらされている人たちは、そのことがなくなること、その危険が取り去られることを一番に望んでいることでしょう。
では、そのために、私たちは何をすることが、何を考えることができるのでしょうか。
その答えを出すことは容易ではありません。
なぜならば、その答えは1つではないからです。
でも、考え続けること、話し続けることで、見いだされるものがあるはずです。
中学、高校時代はこれから先、生きていくための大切な栄養を自分の内にためていく時間だと思います。
私は中高時代に、いろいろなことを考えて過ごしました。
悩むこと、衝突すること、困ったことを通して、学ぶことを知りました。
たくさんの本を読み、いろいろな世界、考え方を知り、自分の知らない世界と出会うことができました。
つらいと思って過ごしたときが、その後に大きく役に立つ経験もしました。
大喧嘩して3ヶ月間、口も聞かなかった友だちは、今は一番の親友になりました。
今思ってみて、何がそうさせたのだろう、何がそう考える材料になったのだろうと思うと、それは、その時に真正面からそのことに向き合ったからだと思います。
本気で喧嘩をし、本気で勉強し、本気で悩んだことが私の中で大切な種になっていったのだと思います。
その1つ1つが何かの拍子に、私の中で小さい花を咲かせたり、小さい実をつけたり、そのような経験が今の私を作ってきたように思います。
高校3年生のみなさんはまもなく6年、3年の清和での学校生活を終え次の世界へと旅立っていきます。
その1つ1つに、ここで体験してきた以上のいろいろなことに出会うでしょう。
楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、つらいこと。
たくさんの出来事に出会い、これからも生きていくことになります。
その1つ1つをいつも前向きに受けとることは難しいと思います。
でも、その1つ1つはそれぞれの中でしっかりと根を生やすために生きる種になります。
それがいつ花咲くか、実をつけるかは私たちにはわかりません。
でも、いつかは花が咲き、実をつけることに希望を見出すことができれば、私たちは生きることができるのだと思います。
何かに思い悩み、進むことができない時、気持ちが沈み、前を向けない時、悲しみに打ちひしがれる時、ぜひ、聖書を開いてください。
そこには、きっとあなたに必要な御言葉が用意されています。
私たちは、神さまに選ばれてこの場所に集められ、そしてここから巣立つように学びの時を与えられています。
そのことを心にとめて歩みたいと思います。