礼拝の話

2020/01/23 

1月22日(水)聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章2~3節 日本基督教団 高知東教会 野口幸生牧師

日本に戻った後、またアメリカに戻って、仕事をしながら祈り続けました。

そして、やはりあの教会にいかなければ、と高知でキリストの救いを伝えることが神様の御心だと、仕事を辞めて帰国することにしました。

何人かがお別れの会を開いてくれて、最後に一人一言、メッセージをくれる時間に、韓国から来た高校生が「ありがとう、幸生。僕が悩んで孤独だった時、幸生は僕の話を黙って聞いてくれた。それで僕は今ここにいることができる。話を聞いてくれてありがとう。」と。

私は、人の話が聞けない、というのがコンプレックスでした。

聞かなければと思うのに、自分の話をしてしまう愛のない人間だと悩んでいたのに、こんなことを言ってくれました。

私は、それは絶対イエス様だ、と。

私が自分で気づいていなくても、イエス様は私を変えてくれているんだ、ととても慰められて6年いたアメリカを後にしました。

祈ってもらった教会で事情を話したら、教会も私のことを祈ってくれていて、とても喜んでくれました。

そして、いよいよ日本での教会生活が始まったのですが、礼拝の雰囲気がアメリカで馴染んでいた礼拝と違って、逆カルチャーショックを受けました。

讃美歌の言葉、説教の聞き方、喜びの表現方法…。

戸惑いましたが、よく考えたらアメリカでも400年前の英語翻訳の聖書を使っていたり、讃美歌もその当時の言葉で歌っていたり祈っていたりするのに、私はそれをおかしいとは思わなかったのです。

ということは、自分の問題か、と思いました。

国も時代も民族も老若男女の世代が違っても、イエス様がその一人ひとりのために死んで罪を赦して救われるほど、神様から愛されているのは、当時も今も同じということです。

人間がおかしいと思うどんな違いも、神様がおかしいと思っていないなら、その神様にたいして、その通りです(アーメン)でいいじゃないか、と。

そうしたら、気が楽になりました。

私、神様を見ていなかったと悔い改めました。

そして、私が身に着けた礼拝スタイルは、教会にきていた清和の学生たちとギターで賛美して、バイブルスタディーして分かち合いました。

その中から一人、この春から伝道者になる皆さんの先輩もいます。

いろいろ違っていても、神さまがよしとされるなら、よい。

そこにキリストの平和があります。

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