礼拝の話

2022/01/26 

1月24日(月)聖書 ヨハネによる福音書 1章10~13節 校長 小西二巳夫

先週、南太平洋のトンガ沖で海底火山が爆発し、遠く離れた日本にも津波が押し寄せました。

津波の被害や犠牲で思い出すのが2011年3月11日の東日本大震災です。

津波によって多くの人の命が失われましたが、宮城県釜石市にある小学校と中学校の生徒約3000人は津波の犠牲にほとんどなりませんでした。

それは1つの言葉のおかげでした。

東北地方の三陸海岸地域は昔から津波によって多くの犠牲を出し、そこから命を守り犠牲者を出さないための言葉が生まれました。

「津波てんでんこ」です。

地震が起こったら必ず津波が来る、その時にはてんでばらばらでいいから高い所に逃げなさい、間違っても家族を助けようと考えて戻るな、家族も助けてもらいながら高い所を目指しているはずだから、ということです。

家族のことは心配しないで、自分も周りの人を助けながら高い所に向かいなさい、というのが「津波てんでんこ」の意味です。

「津波てんでんこ」から、言葉には人の命を左右する、人生を変えるように大きな力があることがわかります。

ヨハネによる福音書の1章に書いてある言葉を一言で言うと、言葉は人間に与えられたものだということです。

しかし残念ながら、人間は与えられた言葉の大切さを分かっていない、いい加減に扱っているということも確かで、それではダメだと書かれているのです。

人間が生まれてきたときに最初に発するのは泣き声です。

赤ん坊は泣くことによって、自分が存在していること、その自分を助けてほしいと伝えます。

私がここにいるのを見過ごさないで、私を助けて、という言葉を発するのは何も赤ん坊だけではありません。

年老いた人も、若い人も、私を助けて、私をちゃんとみてほしい、という言葉を発する時があるのです。

その助けてほしいとの言葉を聞き逃すことなく、あるいは聞かないふりをするのではなく、誰よりもしっかりと聞こうとしたのがイエスです。

イエスの30数年の人生は、そこに生きている人の悲しみの言葉、苦しいという叫び、助けてほしい、救ってほしいといの声をしっかり聴き、その人に寄り添うことに徹していました。

イエスに出会って、人々は悲しむ人から喜ぶ人に変わっていきました。

イエスが2000年後の私たちに願うことも同じでしょう。

悲しい、つらい、怒っている、という気持ちを相手にしっかり伝えるということです。

同時に、悲しい、つらい、助けて、との言葉を無視しないことです。

自分には関係ないと聞かないふりをしないことです。

他の人の言葉をしっかり聞くという姿勢が、実は自分の中から発せられるつらさや苦しさを表す言葉を聞くことに、つまり自分で自分を守ることになるのです。

トンガには大量の火山灰が降り、津波によって生きていくために必要なものが失われました。

大きな災害の中に生きる人たちの声は、今は直接聞こえてきませんが、心静かに思えば、間違いなく、言葉を失った状況にある人々の悲しみの声や助けてほしいとの声が聞こえてくるのです。

その声にしっかり耳を傾けること、自分に何ができるのかを考えること、そして少しの時間でも祈ることはできるはずです。

それが、イエスによってゆるされて今を生きることのできる私たちに、言葉を与えられている私たちに求められているのです。

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