礼拝の話

2023/02/01 

1月27日(金) 聖書 イザヤ書 43章1~4節 英語科 楢本

清和では全てのことが礼拝から始まります。

生徒だけでなく先生方もチャペルのメッセージに耳を傾けるのです。

それはこの清和のありよう全てが神さまの下にある、と言うことを表しています。

「他の学校とは違う清和の特徴は」と聞かれたら、きっと「聖書」「讃美歌」「チャペル」と即答するでしょう。

ここで語られてきたことは何だったのでしょうか。

それは、自分は何者か、という問いに対する答えです。

私たちは神さまに愛された存在です。

私たちを作って下さった方が、私たちを愛して、私たちに責任を持ってくださるのです。

自分自身のことを考えると満足できることより後悔することのほうが多いように感じます。良かったことよりも失敗したことの方が心に残ってしまって、自己嫌悪に陥るのはよくあることです。

そんな時こそ思い出してください。

私たちを「価高く貴いもの」と呼び、共に歩んでくださる神さまがいることを。

自分がどんなに落ち込んでも、自分が何にもできなくても神さまの愛は変わりません。

人間の目だけで見るとマイナスばかりに見えますが、本当はそうではないのです。

私たちは神さま目線を知っています。

ここは神さまが愛して造られた世界だと言うことを知っています。

そして私たち一人ひとりは神さまに愛され、祝福された人たちです。

そこに私たちの存在する意味、私たちがここにいる意味が必ずあります。

一人ひとりに与えられた賜物があり、それを生かす使命がきっとあるからです。

私たちはそれを探して毎日を懸命に生きているのです。

私たちが孤独になる時も、先が見えないような気持ちになる時も、神さまは、いる。

その視点を忘れないで下さい。

今日の讃美歌は卒業礼拝のキャンドルサービスで歌われる讃美歌です。

今日の聖書箇所が歌詞になっています。

もう間もなく卒業していかれる高校3年生のみなさん、色々な人に守られてきた高校生活、そこを離れてそれぞれの道に自分の足で向かっていかなければなりません。

辛いと思う時、しんどくて前に進めないと思う時、一人ぼっちだと思う時、清和のチャペルを思い出してください。

ここに響いていた讃美歌を思い出してください。

この清和には神さまがいて、毎日私たちを守ってくれた。

私たちは神さまに愛されている子どもだった。

清和から巣立っていく高校3年生の一人ひとりの上に神さまの祝福と導きを祈っています。

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