礼拝の話

2024/10/09 

10月1日(火) 聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 9章6節~7節 社会科 山脇

私は、必ず決まった時期にお墓掃除をします。

年内にはあと2回、母の命日のある11月と12月の年末にお墓掃除をすることを決めていますし、年が明けると父の命日のある1月にもお墓掃除をする予定です。

春と秋のお彼岸や夏のお盆は、古くから行われてきた日本の農耕儀礼や祖先崇拝に仏教の教え、さらに儒教の教えなどが合わさって生まれた風習ですが、良くできたものだな、とつくづく思います。

私はクリスチャンですが、日本のそのような風習は美しいものだと思います。

お墓に行ったからといって、そこに何があるというわけではありません。

ですが、お墓の周りを箒で履き、草を引き、墓石の汚れを取り、買ってきた花を活けた後、静かなお墓の前で一人になった時、すでに神のもとに旅立った両親や祖父母のことを思い起こすのです。

お墓掃除に限らず、三日坊主の私が毎日続けることができていることのほとんどは、自然と「やろう」と思っていることです。

今日の聖書箇所はエルサレムの信徒への献金について、パウロがコリントの人々にお願いをした箇所です。

ここでは献金は渋りながらではなく、惜しまず差し出したものとして用意するよう、コリントの信徒に勧めています。

各自不承不承ではなく、強制されてでもなく、心に決めた通りに献金しなさい、とパウロは勧めるのです。

また、惜しまず豊かに種を蒔く人に、その種を与え、パンを糧として与えるのは神であるとパウロは語ります。

そして神が、与えられた種を増やし、私たちが結ぶ実を成長させてくれるとも言います。

このことは何も献金という行為だけでなく、全てのことに当てはまるようにも思います。

誰かに言われて、強制されて行うのではなく、こうしようと心に決めた通りに私たちが歩むことを、この手紙を書いたパウロはコリントの信徒に、そして今を生きる私たちに勧めているように思うのです。

その歩みが神によって守られ、私たちが結ぶであろう実を神が成長させてくださるということを、今日の聖書箇所は教えてくれています。

種を蒔き、水を撒く人がいても、成長させてくださるのは神です、とコリントの信徒への手紙にはあります。

私たちの日々の歩みも、様々な経験を通して神がその歩みを進め、心を成長させてくださっていることを心に留めたいと思います。

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