礼拝の話

2021/10/20 

10月20日(水)聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 9章6~7節 日本キリスト教団 土佐教会 髙橋伸明伝道師

「幸せって何でしょうか?」と聞かれたことがありました。

どう答えたらいいものか考え込んでしまい、すぐに返答することができませんでしたが、しばらく考えてから「大切な人ができるってことが幸せのもとなんじゃないでしょうか」と答えました。

幸せというのは人によって意見が違っていて当たり前なので、別に決まった正解があるわけではありませんが、私自身の今までの人生を振り返って、生きる原動力になってきたのは「この人についていきたい」「この人を手伝いたい」「この人を助けたい」「この人に役立ちたい」「この人に喜んでほしい」といった気持ちだったように思います。

「この人の為になりたい」と思うような「大切な人」ができると、自分が生きている意味がはっきりします。

生きる目的ができます。

生きる意味や目的ができると、「自分はこの世に生まれてきて良かったな」と感じることができます。

「生まれてきて良かった」なんて思えたら、それ以上幸せなことなんかないのではないかと思います。

人間の心というのは、自分のためだけに生きるよりも、誰かのために生きる方が、喜びも大きいし、生きるエネルギーがみなぎるようにできているわけです。

もし神さまが、人間のそういう性質まで作り込んだのだとしたら、これは本当に感謝すべきことではないかと思います。

私の体験から言うと、「大切な人」というのは、生きれば生きるほど増えていくものだという気がします。

自分という人間が生きてゆく中で、色んな人との出会いを体験することになりますが、出会いが多くなればなるほど、自分にとって大切な人も増えて、生きる意味がどんどん増えてゆきます。

そんな人たちのために、何か自分にできることはないかな、とそんなことを考えます。

だから、人間というのは、神さまに許してもらえるなら、できる限り長く生きた方がいいのだろうなと思っています。

今朝読んでいただいた聖書の言葉には、「喜んで与える人を神は愛してくださる」と書いてあります。

それは、喜んで人に与える人生の方が、生きていて良かったと思えますよ、救われますよ、ということなのです。

自分の都合や自分の利益ばかり求めている人は、結局寂しい人生を送らざるを得ません。

楽しい人生というのは、自分が何かをすることで、人の役に立てる人生です。

それが神に自分が愛されている、自分の人生そのものを神が与えてくれたと実感できる人生なのです。

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