清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2024/10/31
テスト期間中に、美容室で髪を切ってもらうことにしました。
予約の時間までまだ時間があったので、小さな本屋さんにフラッと立ち寄りました。
いくつかの本が目に入りましたが、ほしい本もなかったし、時間の無駄やったなと思いながら車を走らせ、なんとか美容室に間に合いました。
カットを担当してくれる美容師さんは、無口で職人気質な人です。
黙々と髪を切ってくれるので、この日はインターネットで、面白そうな漫画を見つけてそれを読んでいました。
そこにハッとさせられる場面がありました。
「読書が必要か不必要か。その答えは読書をした人にしか分からないのよ。貴方の答えは貴方が読んだ本の中にだけ存在する。人類の多くが『本を読め』と言うのか、その答えが知りたいなら本を読みなさい あなたの答えは誰も持っていない。」というものでした。
私に、読むだけ時間の無駄だと決めつけられた本たち。
無駄な本を読む、その体験の中に何か大きな答えがあるかもしれない、誰かにとって、その無駄はとても大切な役割を果たしていることに気付かされました。
無駄という言葉。
聞こえが悪いですが、清和で働く私が、とても大切にしている「無駄」な時間があります。
仕事で疲れた時、行き詰まった時、ふらっとチャペルに入って過ごす時間です。
「ミニマム・マキシマム」=「最小限の努力で最大限の効果を」という言葉があります。
どれだけ無駄な労力を使わずに良い効果を発揮できるかという意味です。
「便利」が加速する社会で、この言葉は現代の価値観や判断基準になりつつあります。
効率重視の社会だからこそ気がつくことがあります。
無駄や何の役にもたたないことの中に楽しさがあり、人生の幸せがある。
非効率な体験や経験の中に価値があり、無駄こそが幸せだと分かります。
清和は普通校ですが、普通の学校とは違います。
無駄を極力なくそうとする社会の方向性とは逆に、無駄を大切にします。
効率重視ではなく、非効率的な無駄が許されるのは いつもそこに神さまの支え・聖書の教えがあるからです。
今日の聖書箇所は、ぶどう園に植えられたいちじくの話です。
3年も実をつけていないいちじくの木を、ぶどう園のオーナーは、園の管理人にいちじくの木を切り倒せと命令します。
すると管理人はこう答えました。
「ご主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って肥料をやってみます。それで来年実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。」
この管理人は、役に立たない「無駄」の中にこそ価値があるということを理解しています。
そして忍耐強く、その実りを待ち続けているのです。
清和で聖書に学ぶ私たちも、学校生活を通して、このぶどう園の管理人のように無駄の中にこそある大切なもの、これがわかるような価値観を身につけ、幸せな人生を送っていきます。