礼拝の話

2024/10/31 

10月28日(月) 聖書 マルコによる福音書14章32~36節 校長 小西二巳夫

今から57~58年細前、中学3年生の英語の時間、英作文の小テストがありました。

問題は簡単なものから少し難しいものまで、全部で40問ほどあったと思います。

そんな質問の中に次のようなものが並んでいました。

「私は英語が話せません」そして「私は英語を話しません」です。

答えは「I can’t speak English」、そして「I don’t speak English]です。

答え合わせの時に、この問題についてK君が先生に言いました。

「なんで僕のは間違いなんですか」。

K君は答えに「I can’t talk English」、そして「I don’t talk English」と書いたのです。

私が60年近く前のことを思い出したのには理由があります。

「ただいま神様当番」という「おせっかいな神様が登場する」小説を読んだからです。

小説の登場人物の一人にイギリス人のリチャードさんがいます。

リチャードさんはイギリスにいた時に近所に住んでいた日本人一家と親しくなります。一家との出会いによって、彼は日本語と日本が好きになり大学で日本語を勉強します。

そして念願がかなって日本の大学で教えることになったのです。

リチャードさんははりきって英語を教えますが、リチャードさんが一生懸命になればなるほど学生はやる気を失っていきます。

ある日、落ち込んでいるリチャードさんのところにおせっかいな神様が姿を表します。

リチャードさんが神様とのやり取りの中で気がつかされたことがあります。

それがスピークとトークの違いでした。

スピークもトークも「話す」と訳されますが、持っている意味は違います。

スピークの名詞形のスピーチのように、これは一方的に話すことです。

トークは相手と対話することです。

リチャードさんは、おせっかいな神様との出会いによって、自分の授業が学生に一方的にスピークするだけであって、そこにトークがなかったために、学生たちが自分の授業をつまらないと感じたことに気づいたのです。

スピークと違って、トークは相手がいて初めて成り立ちます。

今日の聖書箇所、イエスは弟子たちに話しかけていますが、これはスピークです。

しか36節から祈りを通して神とトーク、対話しているのです。

イエスは神と対話することで、今自分が何をすべきかを考えようとしたのです。

そして迷いを吹っ切り、腹を決めようとしたのです。

神とトークするとは、見える見えないに関係なく、神がそばにいてくれるということです。

神が自分のそばにいてくれる、それを感じられることほど、力強いことはありません。

そして、神とトーク対話することで、今自分が何をすればいいのか、どうすればいいのかを、自分とやり取りしながら考えることができます。

礼拝のスピークによって、神とトークすることができるようになり、今一番頭を悩ませていること、困っていることに、ふっといい考えが浮かぶことがあるのです。

ふっと心が軽くなることがあるのです。

それに気づくと、毎朝の礼拝が今まで以上に意味あるものになってきます。

今週の一日一日も、その礼拝から始められる学校生活に感謝です。

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