清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2021/10/13
北海道の余市郡余市町に「北星学園余市高校」というキリスト教主義の学校があります。
この学校には全国からいろいろな挫折を経験した高校生が集まってきていました。
たいていの学校では「自分の弱さを認める」ということを許してくれません。
それを認めてしまうと完全に自分の敗北を認めるようで、自分の弱さを本人も認めたがりません。
しかし人間ですから弱い部分もあることは事実で、それで結局行き場がないままに引きこもったり、自分を傷つけたり、暴力事件を起こしたり、そうしてもといた学校にいられなくなった人が、もう一度高校生活をやり直すために来ていたのが、北星余市という学校です。
その校長先生がおっしゃることで印象に残っている言葉は、「やり直し」ということです。
生徒が問題を起こしたときにこういうことを話していたそうです。
「お前はこんなことをしに余市に来たのか?」
「お前はやり直すために、ここに来たんだろう?」
ここでやり直すことを確認することから、全ての対話が始まるそうです。
今朝、読んでいただいた聖書の箇所は、やり直しに関するたとえ話です。
ある人が、いちじくの木を植えたのに、3年たっても一向に実がなりません。
そこで「切り倒せ」と園丁に命じます。
するとこの園丁は「御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでだめなら、切り倒してください」と言いました。
このいちじくの木は、ついにやり直しのきかない土壇場に追い詰められたように思われました。
しかし、この園丁は主人の「切り倒せ」との命令に抗して、なんとか延命措置を講じます。
「木の周りを掘って、肥やしをやる」、木に栄養を与えるのです。
そうすれば、来年は実がなるかもしれない、と木の成長・やり直しに期待し賭けるのです。来年が、再来年、そしてその後の年になっても、きっと園丁は地道に木に栄養を与え続け、木の成長・やり直しを待ち続けるのだと思うのです。
私は基本的には人生はやり直しがきくと思っています。
「今」という時間、「ここ」という場所は、掛け替えのないものです。
「今、ここで、できること」とは、人生において二度とない貴重な宝物と言えるものなのかも知れません。
ですから、皆さんには、「今、ここ」での学校での時間を、本当に大切に過ごし、何事も真剣に取り組んでいただきたいな、と願っています。