礼拝の話

2020/10/15 

10月15日(木)聖書 マタイによる福音書 4章4節 英語科 中山

昨年12月4日、中村哲という日本人医師がアフガニスタンで銃撃され亡くなりました。

中村さんは幼い頃から昆虫が好きで、昆虫学者になりたいと思っていたそうですが、進学を決める時に親に反対されるのがわかり、医学部に進学することにしました。

当初はまだ昆虫学者になる夢をもっていた中村さんですが、父親が借金をして高価な医学書をそろえてくれたことがわかり、医師になる決意をされそうです。

大学を卒業し、福岡の病院で働き、結婚し、子どもも生まれました。

そんな中、医者としてパキスタンへ行かないかという話があり、中村さんは、家族を連れてパキスタンに行くことにしました。

パキスタン、アフガニスタンで医療に関わる中で、3000m級の山々にある村では医師が来ると聞きつけて、周囲の村の人々が何日もかけて中村さんのところに治療のお願いに来ることもありました。

パキスタンに渡って15年ほど経った時に、アフガニスタンで大干ばつが起こり、何百万という人々が上と渇きで苦しみました。

渇きを癒すために汚い水を口にし、赤痢や腸チフスで次々と命を落とす人が出ました。

診察にあたっていた中村さんは、人を救うには医療よりも水が必要だと考え、医者の仕事を中断し、人々と協力して井戸を掘ることにしました。

最初の1年で600の井戸を掘り、これによって35万人が助けられました。

3年後には土木の勉強を独学で進め、設計図を書き、用水路建設を始めました。

標高5000m級の山から流れる水を引く工事には多くの困難があり、思い通りには進みませんでしたが、1年で1500m、4年後には13kmの用水路が完成しました。

引き込んだ水のおかげで、砂漠のようになっていた土地には作物が実るようになりました。

その土地から離れていた何万もの人たちが帰ってくることができるようになりました。

人々の心に希望が宿りました。

今では用水路は約27kmになり、その水によって高知市の5倍の面積の土地に緑が戻ってきました。

中村さんは、アフガニスタンの人々を助けるために様々なことをしてきて、さらにいろいろなことを計画し、取り掛かろうとしていました。

そんな矢先に、銃撃によって命を落としました。

1984年に現地に行ってから約35年間、パキスタンとアフガニスタンのために尽くされました。

自分の命が危うくなる場面に何度も遭遇しながらも現地で働かれたのは、人の役に立つことが心から嬉しいと感じていたからです。

父、祖父母の言葉やミッションスクールでキリスト教に出会いクリスチャンになったこと、牧師先生の生き方、キリスト教の考え方が、苦しんでいるアフガニスタンの人々を支えたいという思いを中村さんに与え、その思いが何十万という人々を助けました。

私たちは体を維持するために、食物を口にしますが、何を食べるか、何を飲むかで健康状態は変わります。

同じように、私たちの心も何を学び、何を見聞きするかで変わっていきます。

清和はキリスト教の学校で、聖書を学びます。

聖書は理解するのに難しいこともありますが、私たちの心にたくさんの栄養を与えてくれます。

私たちの考え方や生き方を豊かなものへと導いでくれます。

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