清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2020/10/16
どんな時に神さまはいるかも、あるいは、いないかも、と感じますか。
高校生の時、30分かけて自転車で学校に通っていたので、信号が青続きで止まらなくてもいいとき「神さまありがとう」と思ったり、ラグビー部で練習してけがをすると「何で神さまはこんな試練を自分に与えるんだろう」なんて随分、自分勝手な考え方をしていたと思い返します。
人生の中で私たちは選択をせまられることがあります。
高校生の時、進路決定をする時、判断基準は2つ、ラグビーができるところ、学校の先生になるための勉強ができるところ、という希望でした。
いざ大学へ行って生活してみると教職課程の授業を取り続けていくこととラグビー部の練習にでることの2つを両立していくことがとても大変になりました。
大学2年の終わりに、監督にこのままの状態を続けていくなら、お前はもういらん、と言われてとてもショックでした。
最初はくやしくて挫折感があって、3年生からは体育会から同好会にラグビーをかえてラグビーを楽しみ、教職の授業をがんばりました。
そして、それまでは時間がなくていけなかった初めての海外旅行に3年生の夏に行きました。
フィリピンのダバオというところで小さい頃から通っていた教会の先生が聖書翻訳の仕事をしていて、電気もガスも水道もない、トイレは海、みたいな所で働いている所へ行きました。
デング熱やマラリヤなどの病気にかかりながら、こんなに不便で不衛生で貧乏で、そんな生活しているのに先生の顔はいつも太陽のように輝いていたんです。
何でだろう、何でこんなつらい環境でつらい思いをしながらこんなに幸せそうにしていられるんだろうか、とその時ぼくなりに考えたんです。
自分になくてこの家族にあるものは何かな、と。
それはこの先生家族には中心に聖書がある、神さまへの信仰があるからなんじゃないか、と思いました。
この旅が転機になって聖書を読むようになり聖書の勉強をしたいな、と思うようになりました。
大学卒業と同時に神学校、聖書の勉強するところへいきました。
高校の時には考えていた進路とは思いもよらない方向に進みました。
今日の聖書箇所は神学校へ行く時に神さまからもらった言葉として大切にしているところです。
「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。」
人生には上り坂、下り坂、そして、まさか、ですからまだまだ自分の道がどこにあるのかわかりません。
でも、いつでも大事にしたいのは聖書に書かれている神さまのことばによりたのんで生きていきたいということです。
皆さんもこれから人生の選択をせまられる時がたくさんくると思います。
どれが正しくて間違っているかなんてありません。
悩みがなくなることはないし、試練がなくなることもありません。
その時その時、自分が悩みながらすすんでいくだけです。
1つ確かなことは自分でかかえこまなくてもいいということです。
なぜなら、私たちのことを一番知っていて愛して大切だ、と言ってくださる神さまが私のことを心配していてくださる、私の道を確かなものにしてくださる、責任をとってくださる、という希望と平安があるということです。
だから、その時その時に必要なきっかけや聖書の言葉をくださる神さまにゆだねて期待して一歩一歩、歩んでいくものでありたいと思います。