礼拝の話

2019/10/21 

10月17日(木)聖書:出エジプト記 2章10節 日本基督教団 土佐教会 成田信義牧師

聖書には川の葦の茂みにおかれたままにされていたところを抱き上げられ、救われることになった一人の赤ちゃんの物語があります。

「出エジプト」の出来事の際に、神の民の先頭に立って導いていくことになるモーセの誕生物語です。

当時、エジプト王はファラオと呼ばれ、軍事的にも経済的にも圧倒的な力を持っていました。

その中で、奴隷のように重労働を課されている者たちの力・結束力を弱めるために下した命令が「男児虐殺命令」です。

モーセが誕生するのは、そんなファラオの力に誰も逆らえないような時代の真っ只中でした。

しかし、悪の力に流されないで抵抗し、何とか踏みとどまれないかを懸命に考えた人たちがいました。

生まれたばかりのモーセに関わった女性たちです。

モーセに関わった女性たちは、ファラオの圧倒的な力の前に無力な存在でしかありません。

それにも関わらず、小さな命こそ大切にすべきと手をかけることができず、ファラオの力に恐怖を感じながらも、ファラオに従うことができない人々でした。

そういう「できない」人々のことを、聖書は「神を畏れる者」と記しています。

畏れるべき存在を知る彼女たちにこそ、聖書は光をあてています。

「できない」ことは無力です。

しかし、神を畏れるゆえに「できない」ことがあります。

「できないこと」は「できないこと」として、「できない」でいることが、もう1つの力であることを聖書は物語っています。

実際に、小さな命を救い、新たな時代を切り開くモーセを守り、育てました。

時代に流されないで抗い、本当に畏れるべき存在を畏れるために心を入れ替え、想像力をたくましくし、機転を利かせることで、ファラオの圧倒的な力に風穴を開けることもあるのです。

モーセの誕生に関わった女性たちのように、です。

このようなセンスを皆さんは今、清和で磨かれています。

自分で作り出してしまっている壁を打ち破る力は、もうすでに皆さん一人ひとりの中に秘められています。

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