礼拝の話

2019/10/03 

10月2日(水)聖書:ローマの信徒への手紙 6章3~4節 日本基督教団 高知東教会 野口幸生牧師

皆さんは「洗礼」を見たことはありますか?

日本に住んでいると、実際の洗礼を見る機会はほとんどないので、私もピンときていませんでした。

儀式だと思っていたので、形にこだわっているようで嫌だと思っていました。

今でも大切なのは、形より中身だと思っていますが、その中身を確かにするために形があると教わって、そうなんだと思いました。

イエス様を信じた後も、半年くらい洗礼を受けないままでいました。

でも、聖書を読み進めるにつれ、やっぱり洗礼は受けないと、と思うようになりました。

そして、牧師のところに行って、洗礼を受けたい、といいました。

彼は喜んでくれて、何回か洗礼準備会をしてもらいました。

聖書が教えている洗礼とは何か、相当教わりました。

そして、前に洗礼を受けた男性が、ずぶ濡れなのに笑顔で湖の水から出てきた写真を見せてくれました。

「え?湖で?」「うん。ここから車で20分くらいの湖に礼拝が終わってから行くから」と。

テンションが上がってきましたが、いよいよ洗礼を受ける3日くらい前になって、「自分はまだ洗礼を受けるのにふさわしくない」と思ったんです。

その頃、聖書をだいぶ読み進めていて、正月に日本で聖書を買って、1日新約を1章、旧約を3章読んだら、1年で全部読めると聞いて、がんばって読んでいました。

でも読めば読むほど、自分が思っていたほど自分は正しくないとわかるのです。

これが神さまの教えだなと思って、やろうと思ってもできない自分を突き付けられます。

そして、牧師に「すみません。洗礼、キャンセルしてください。こんな自分じゃ無理です」と言いました。

すると「だから洗礼を受けるんだ」と言われました。

「がんばったら自分で罪を洗い落とせるつもりになっていないか。それならイエス様の十字架はいらない。罪は赦されるしかない。そのためにイエス様は私の罪を負って死んでくださった。そのイエス様が私には必要です、と人は洗礼を受けるのです。幸生は洗礼にふさわしい。」と。

そして当日を迎えました。

晴れた日曜日の礼拝後、冷たい湖に入りました。

「父と子と聖霊の名によって洗礼を授ける」~ドブン~ザバー~プー~。

冷たくてガタガタ震えながら、太陽の温もりに神様の愛を感じながらの洗礼でした。

皆さんもこのクリスマス、湖はないけれど、洗礼を受けませんか?

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