礼拝の話

2020/10/21 

10月21日(水)聖書 ヤコブの手紙 4章8節 日本キリスト改革派 高知教会 小澤寿輔牧師

ボーイスカウト、ガールスカウトという活動を聞いたことがあるでしょうか。

私は小学校3年生のときにボーイスカウトに入隊し、地図の読み方やロープ結び、手旗信号、飯盒炊さんなど、野外活動をする上での技術を沢山学びました。

成人すると、今度はボーイスカウトの指導者となるために、研修所で訓練を受けました。

その研修に参加したとき、初日の開所式で、所長が開会の挨拶で「啐啄同時」という言葉を使いました。

「啐啄」の「啐」は、口へんに卒業の「卒」という字で、「啄」は口へんに「ぶた」の右側を書きます。

石川啄木の「啄」です。

所長の話によると、卵から孵化しようとする雛鳥は、自分の力だけでは殻から出て来ることができず、親鳥に外から卵の殻を突っついてもらい、割るのを手伝ってもらわなければならないそうです。

そこで、「啐」とは、雛鳥が孵化する準備ができたことを親鳥に知らせるために殻の内側からコツコツと突っつくことを指し、「啄」は親鳥が外から殻をコツコツと突っつくことを指すのだそうです。

そこで大事なのは、「啐」と「啄」が同時になされることなのだそうです。

それになぞらえて、「啐啄同時」の意味するところは、教える者と習う者の両者が意気投合した時に、はじめてきちんと学んで身に着けることができる、ということなのだそうです。

それを聞いて、「なるほど」と思いました。

この「啐啄同時」という言葉は、今、中学や高校で学んでいる皆さんにも、そのまま当てはまるのではないでしょうか。

先生方は、生徒の皆さんが、将来、大人として豊かな人生を歩めるように、必要なこと、大切なことを、惜しまず教えようとしてくださっています。

そのときに、生徒の皆さんも「学んで向上したい」という思いがあれば、先生と皆さんとの間に、理想的な関係が生まれるのではないでしょうか。

この「啐啄同時」という言葉を、また別の視点から見るならば、これは神さまと私たち人間との間においても言えるのではないでしょうか。

先ほど朗読していただきましたヤコブの手紙4章8節には、次のようにあります。

「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。」

私たち人間は、自分の力だけでは、どう頑張っても、まことの神を見出すことはできません。

けれども、神さまはいつでも「啄」できるように、私たちからの「啐」の合図を待ち望んでおられます。

実は、神さまからの「啄」は、すでに私たちに与えられています。

聖書、また、聖書の教えを聴くチャペルがそれです。

皆さんは、ただ神さまに心を開いて、神さまを求める心で、近づけばよいのです。

それが「啐」です。

今日、皆さんが、先生方への「啐」、そして神への「啐」をすることによって、「啄」の恵みを豊に受け取ることができますよう、心からお祈りします。

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