礼拝の話

2019/10/25 

10月24日(木)聖書:創世記 2章7節 日本基督教団 高知東教会 野口幸生牧師

中学生の時に英語を習っていた牧師夫人からこう質問されたことがあります。

「野口君は神さまが人を土から創ったことをどう信じたの?」と。

「神さまは何もない無から、この世界を創ったんでしょう?だから、土から人を創るのも神さまなら、そうなんだろうと思った。」と返事をしたら「そうなのよ!」と喜んでいました。

幼い頃から、宇宙の果てがどうなっているのか、死んだらどうなるのか、と思っていました。

死への恐れというより、死んだ後のことが怖かったのど覚えています。

なので、20歳の時にイエス様を信じて、死んだ後のことが解決したことは、ものすごい解放感でした。

クリスチャンになって、時間があれば神さまのことを周りの友達に話していました。

教会では、道を伝える、と書いて「伝道」といいますが、話が下手で押しつけがましかったんでしょう。

留学仲間の日本人たちから「幸生が神さま信じて嬉しいのはわかるけど、口うるさいんだよ」といわれて、ショックでした。

泣きながら祈って悔い改めて反省しました。

仲良くなった1人の女の子がいました。

父親が若い頃神父さんになりたかったけれど、挫折したらしい、という子で、聖書に対しては否定的な子でした。

「土から人間を創ったって書いてあるなんて、信じられない」と。

私は口うるさいのを反省していたので、一言だけ笑顔で「だって死んだら人は土に帰るでしょ」といったようです。

その彼女が、話を聞いてと相談に来たとき、私には聖書の話しかできなかったので、それでよいなら、と話を聞きました。

それから一緒の教会に行くようになって、彼女はだんだんと元気を取り戻していきました。

しばらくして、聞いてみました。

「なんであの時、聖書の話聞いてくれたの?聖書の話、嫌だったのに」と。

すると、「前に人が土から創られたなんて信じられないといったとき、だって死んだら人は土に帰るよ、といったのがストンと心に落ちたの」と、言ってくれました。

これを聞いて、神さまだ、と思いました。

本当に神さまは私たちの思いを越えて、愛し、導いてくださいます。

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