礼拝の話

2020/10/27 

10月26日(月)聖書 ローマの信徒への手紙 8章38~39節 校長 小西二巳夫

私の妻ですが、1年ほど前から足と腰が痛くなってきて、変形性股関節症と診断されました。

痛みはだんだんひどくなり、先週の水曜日にようやく手術を受けることができました。

今、順調に回復しています。

その妻のために密かに千羽鶴を追ってプレゼントしてくれた学年、励ましのメッセージの色紙を書いてくれた学年もありました。

ありがとうございました。

入院する前の晩、妻と私と娘の3人で聖書を読んで、賛美歌を歌って、お祈りをしました。

痛みが少しでも和らぎますように、手術がうまくいきますように、再び歩けますように、多くの人が祈ってくださっていることに感謝しながらお祈りしました。

その時に選んだ聖書は詩編126編の「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に借り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出ていった人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌を歌いながら帰ってくる」という言葉でした。

そして妻が選んだ賛美歌が先程歌った533番の「どんなときでも」です。

歌いやすく、歌詞もわかりやすく励まされる賛美歌ですが、私は妻がこの賛美歌を選んだ時、あれっと思いました。

この賛美歌は誰か困っている人、悲しんでいる人を励ますためにはぴったりですが、自分が手術を受ける前の賛美歌として、なぜ選んだのかと不思議に思えたのです。

手術が無事に終わったので、「どんなときでも」を選んだ理由を聞きました。

この賛美歌の作曲者は高浪晋一さん、作詞は高橋順子という人です。

名前の横に1959年~1967とあります。

つまり高橋順子さんは7歳か8歳、小学2年生の年齢で亡くなるのは何か事情があります。

彼女は幼稚園の時に骨肉腫で左足の太ももから下を切断しています。

その後、ガンは肺に転移し、2回目の大きな手術をする前日にこの詩を書いたそうです。

「どんなときでも」は他の人を励ますために、慰めるために書いたのではなく、生きるか死ぬかわからない不安でいっぱいの自分に向けて書いたのです。

「神さま、私を救ってください、助けてください」という祈りは当然毎日していたはずです。

それを超えて、手術の全日に自分を励ます詩を書いたのです。

順子さんには大きな願いがありました、「学校に行きたい」。

それがよくわかる順子さんの詩があります。

「おかあさん、手をつかんでいてね 早く なおって 学校へいくんだから」。

家族と遊園地にいったときの詩にも、「わたしは こんなことより 早く 学校に行きたい」。

順子さんはなぜ学校に行きたかったのでしょうか。

特別な何かをするためではありません。

ふつうに勉強して、ふつうに遊んで、ふつうに友だちとケンカをして、ふつうに仲直りをするためです。

ふつうのことが、順子さんには何にも勝る特別なことだったのです。

残念ながら8歳の誕生日を待つことなく亡くなり、学校に通うことはできませんでした。

順子さんの願いは聞き入れられなかった、希望は叶わなかったことになるのでしょうか。

順子さんの思いをはるかに超えて、多くの人を励ますことになっています。

その一人が私の妻です。

妻の願いは、ふつうに歩けるようになることです。

手術を受けることにかなり抵抗感がありましたが、その妻に手術を受ける決心をさせてくれたのが順子さんの「どんなときでも」です。

7歳の少女の言葉と生き方に69歳の女性が励ましを受けたのです。

ふつうに生活したい、ふつうに学校に行きたい、との願いが自分だけではなく、他の人の励ましになるとなるなら、私たちがふつうに過ごす何でもないような毎日がいかに意味あるのかが分かってきます。

そこに私たちの何にも勝る今日を生きる意味があります。

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