礼拝の話

2021/10/27 

10月26日(火)聖書 創世記 1章27節 音楽科 三浦

中学、高校という時代は、さまざまな教科を通して、いろいろなことを考えることを身に着ける時期です。

コンピュータの発達とともに、現在進行形で私たちの生活は日々目まぐるしく変わっていきます。

その中で一番大きな変化は、すぐに情報を手にすることができる、ということだと思います。

何かわからないことがあると、すぐに手元のスマホで調べる、ということが日常になっているように思います。

その中で、失われつつあるものがあります。

それは、わからない、という状態をきちんと考えるということです。

明確な答えがあるものの場合にはよいのですが、そうではなく、「これはいったい何なのだろう、わからないからどうしよう」、と時間をおいて考える、ということがどんどん少なくなっているように思います。

本当は、このような答えの分からない事柄を「考える」時間がとても大切なのだと思います。

私たちの生活は、自分の思い通りになることはほとんどありません。

自分から見て、何もかもうまくいっていそうな人だって、それぞれの悩みやうまくいかなことでの葛藤を抱えているものです。

でも、その一人ひとりが、自分の持てる最善を考える中で、一人ひとりの歩みが進められる、手探りでも何かしらの方向に進める、ということがあるように思います。

私たちはいろいろな授業を受けて、いろいろなことを考えることで、ただの質問と回答、という以上のものを身に着けていくのだと思います。

そうであるならば、この「考える」ということを大切にする必要があるのだと思います。

私たち人間は神さまにかたどってつくられたとあります。

神さまは私たちによりよく生きることを期待されているはずです。

よりよく生きるということは、悩むことも迷うことも、うまくいかないと後ろ向きになるときも、自分の持てる力をしっかり使って考えるということなのではないかと思います。

悩んでよいし、迷ってよいし、右往左往してよいのです。

自分が向き合わないといけない事柄から逃げずにしっかり考える中で、その次が見いだされていくことを覚えておく必要があります。

一人ひとり考え方も受けとめ方も違うものです。

でも、一緒の場所で生活するということはどういうことなのか、この感染症と向き合いながら、日々の学校生活を送ることができるということはどういうことなのか、をしっかりと考えることが、これからの私たちの生活を支えるものになると思います。

大切なのは「考え続けること」です。

今の自分の思いがどうあるのかを「考える」ことです。

うまくいかないこと、わからないことはたくさんあります。

でも、その中で自分自身が考え、悩んだことは、いつの日か、自分を支える材料になります。

そのことを覚えて、今日1日もしっかりと1つ1つの授業、1つ1つの自分自身の事柄に向き合って過ごしたいと思います。

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