礼拝の話

2020/10/08 

10月8日(木)聖書 マタイによる福音書 6章33~34節 保健体育科 伊勢脇

4人姉妹の次女として生まれ、生まれつき耳の聞こえない女性がいました。

彼女の両親は、言葉に遅れを取らないように早く教育を受けさせないといけないと、彼女が4歳の時から聾学校の寄宿舎に入れました。

幼い娘を手放す決断をした両親の涙に応えるように彼女は成長していきます。

早い時期からの教育のおかげで、耳が聞こえないとは思えないほど、障害者手帳の申請が通らないくらい、普通に言葉を話すことができました。

言葉と手話、彼女は幼いながらに2つの言語を修得していました。

そして不自由さを感じさせないくらい、明るくて元気なひょうきん者でした。

小・中・高と聾学校で育ち、そこで思いを寄せる人と出会い19歳で結婚し、2人の子供に恵まれました。

子どもも大きくなり、一家4人の生活は平穏無事でこれからという時、42歳で交通事故に遭い、脳出血で左半身が動かなくなってしまいました。

その後も、どうして彼女だけがしんどいことに出会うのかと家族が思うほど、病気やけがを繰り返し、それは75歳で亡くなるまで続きました。

こう聞くと、かわいそうだな、暗い生活を送っていたのかな、不幸な人生だったのだろうと過ごしたと思いがちですが、そうではありませんでした。

彼女はいつも笑顔でした。

明るく元気で、ひょうきんな性格は変わらず、最後までそれを失うことなく貫きました。

それは周りがあきれるほどと言っていいほどのものでした。

この女性は私の母です。

母がなぜ自分の人生を、周りがあきれるほど明るく元気に生き抜くことができたのか、私はいつも不思議でした。

1つは生まれ持った明るい性格、もう1つはキリスト教との出会いがあるのではないかと考えました。

母はクリスチャンです。

キリスト教とどのように出会ったかは知りません。

今思えば毎日の生活の中にキリスト教がありました。

今日歌った「主われを愛す」は私が小さい頃、母に初めて習った讃美歌です。

メロディはなく、歌うのではなく、1つ1つ歌詞の単語を手話で読んでいきます。

初めて教会学校へ連れて行ってもらった時の賛美歌が「主われを愛す」でしたが、この時の衝撃は今でも忘れられません。

知っているはずの賛美歌でしたが、メロディは知らなかったからです。

「主われを愛す」の賛美歌を聞いた時、とても感動したのを覚えています。

母から習った讃美歌に音はありませんでしたが、音はないのに滑らかに賛美する母の手から、なんとなくメロディが聴こえてくる感じがして、一緒に手話で歌っていたことを思い出します。

手話は日本語と同じように1つの言語であり、それ以上に表現豊かな言語です。

私も幼い頃から自然と覚えてきた言語でもあり、両親のおかげで私も少なくとも2つの言語を持つことができています。

そして、皆さんにも知ってもらいたいと思い、今高校3年生の選択授業で手話の授業をしています。

その母の口癖は、しんどいことが起こっても、辛いとしか思えない時にも、「神さまが共にいてくださるから大丈夫」でした。

しかし、私はその母の口癖が理解できなかったし、受け入れられませんでした。

本当に神さまがいるなら、なぜしんどいこと、辛いことが起こるのか、「おかしい、許せない」と反発したことも多かったです。

母の75年をたどってみると、それは今日の聖書箇所の言葉と重なります。

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

母の生き方はまさにこれでした。

今日の聖書の言葉を私なりに一言でいうと、「母にはいつも見えない力である神の愛が働いていた」ということです。

その見えない力によって、母はどんなにつらく苦しいことが起こっても笑顔で過ごせることができていたのです。

母がどんな時でも相手のことを思いやり、そして前に進むことができるように大きな力を与えてくれていた神さまに改めて感謝し、また、母を通して神さまが見えたような気持ちになった今年の7月でした。

母を通して分かること、それは見えない力である神の愛は私にも働いているということです。

そして今日、この時にこの場所で一緒に礼拝している一人ひとりにも同じように働いているということです。

今日も一日、時間を大切に過ごしていきましょう。

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