礼拝の話

2024/12/03 

11月25日(月) 聖書 テモテの手紙Ⅱ 1章10~13節 校長 小西二巳夫

エヴァンジェリストという、IT企業などで、自分の会社の技術力や製品の良さなどを世間に広く知らせる仕事する人のことです。

エヴァンジェリストはもともとキリスト教の言葉です。

キリスト教を伝えるためにあちこち出かけて行く人をそう呼びます。

エヴァンジェリストと同じ意味の言葉にエヴァンジェリオンがあります。

これを聖書の授業で習った言葉にするとグッドニューズ、日本語にすると福音、良い知らせです。

キリスト教の福音、良い知らせというのは、私たちはイエス・キリストによって救われ、そして今を生きる力が与えられているということです。

英語エヴァンジェリオンの綴りはevangelionです。

ラテン語やドイツ語読みにするとgeをゲと発音するのでエヴァンゲリオンとなります。

エヴァンゲリオンと聞くと、たいていの人が日本のアニメのエヴァンゲリオンを思い浮かべます。

アニメのエヴァンゲリオン使徒は架空の生命体で人類に敵対する存在です。

アニメ「エヴァンゲリオン」は聖書やキリスト教とは関係のない物語ストーリーですが、そもそも日本のエヴァンゲリオンのファンで登場人物の名前や場面設定が聖書に関係したものと知っている人は多くはないはずです。

日本で人気があるのは、聖書やキリスト教に関係なくエヴァンゲリオンのストーリーや登場人物の抱える問題や悩みなどに、共感する人たちがたくさんいるからだということになります。

ある人がエヴァンゲリオンやその前に人気の出た「銀河鉄道999」、さらに「鬼滅の刃」などの日本のアニメとヨーロッパのアニメの違いは、そこに人間を超える見えない存在、つまり神がいるかいないかの違いだと言われました。

確かに、日本のアニメはスタジオジブリや手塚治虫などの作品では、たとえ聖書やキリスト教に関係する言葉を使わなくても、人間の力知恵では及ばない存在があることを感じ取ることができます。

その一方でエヴァンゲリオンのように、聖書に出てくる人の名前を使い、キリスト教の話をベースにしながら、神といった存在をしないアニメや漫画があるわけです。

神の存在を感じないエヴァンゲリオンは、言い方を変えると人間中心の話なわけです。

考えておきたいのは、人間が人間中心に物事を考え行動した時に、何が起こるのかです。

これまでの人間の歴史を考えるとすぐにわかります。

それは武器や軍事力をもっての戦い、戦争です。

人間中心=自分中心です。

自分中心になると、自分は正しい、間違っているのは相手となります。

お互いが自分の正しさを主張すると、正しさと正しさがぶつかります。

そして相手が敵になります。

それが国レベルや地域レベルで起こると軍事力を使っての戦争、紛争になります。

その愚かさを体験したのが今から2500年から3000年近く前の人たちです。

その人たちの反省から作られたのが創世記の初めに書かれた物語です。

そこには人は神によって作られたとあります。

神によって作られる、その意味は、人間は不完全だということです。

不完全な人間のすることがすべて正しいはずがない、必ず間違いを起こし、失敗し、傷を残します。

それを教える人間としてアダムとエバ、カインとアベルを登場させています。

不完全な人間のすることとしてノアの洪水やバベルの塔の話も作られたのです。

私たちが不完全な存在であり、自分中心でない生き方が、自分を幸福にし、生きやすい世の中にしていくことを、心に刻みながら新しい1週間を過ごしたいと願います。

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