礼拝の話

2021/11/01 

11月1日(月)聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 2章9節 校長 小西二巳夫

絵本作家の五味太郎さんの本に「正しい暮らし方読本」があります。

五味さんがいう正しいは、絶対にこうです、ということではありません。

逆で、そんなこともあるのか、と笑いそうになるものばかりです。

「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」という本を読み、「正しい美術鑑賞の仕方」があるとして、それはどういうものだろうかと考えました。

白鳥さんは眼が見えません。

まず考えてしまうのが、全盲の人がどうやって絵画などを観るのだろうか、です。

同じように考えた本の作者の川内有緒さんが友人から誘われた時の文句はこうでした。

「白鳥さんと作品を見ると本当に楽しいよ」。

白鳥さんが美術鑑賞をするためには、自分の右ひじを白鳥さんに掴んでもらい、一緒に歩くアテンドと言う役割が必要です。

アテンドは作品の前に立って、それがどういう作品なのかを説明するわけです。

奈良にある興福寺に白鳥さんと数人が有名な千手観音を観に行った時のことです。

白鳥さんを交えてのやりとりがこんなふうに始まります。

手に色々なものを持っています。お掃除グッズみたいね。

お掃除グッズ? 他にも数珠とか鐘とか、斧もありますね。

それにしても、これだけ持っていたら、いろんなことできるでしょうね。

家が壊れたら、すぐに直してくれそう。

千手観音は女性なんですか。観音様は基本全部女性。

横から見ると女性っぽいけれど、前から見ると強さがありますね。

なんかこういう感じの食堂のおばちゃんいますね。

無愛想で、でも何度も通ううちに、あ、こういうやさしい顔もするんだ、みたいな。

髪型がパンチパーマで昭和のおばちゃんぽい。

不愛想だけど、仕事は早い。このおばちゃんのチャーハンはきっとうまい。

千手観音という世界と救うありがたい観音様を前に、みんな言いたい放題です。

ひとりで黙ってみていたら、そして見える人だけで見ていたら、こんな楽しい美術鑑賞にはなりません。

著者の川内さんが白鳥さんと一緒に美術鑑賞をすることで実感したことがあります。

自分は目の見えない白鳥さんの手助けをしていると思ったけれど、実は目の見えない白鳥さんは、私が作品を深く見ることができるようにしてくれた、私の目の解像度を上げてくれました。

「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」を読んで気づかされることがあります。

それは、私たちはたくさんの「バイアス」を持っていることです。

バイアスというのは先入観、思い込みです。

白鳥さんのことでいうと、目の見えない人には美術鑑賞はできないという思い込みです。

五味太郎さんが「正しい暮らし方読本」で伝えたいのも、私たちは知らず知らずのうちにいくつものバイアス、思い込み、偏見を持たされているということです。

そのバイアスのために息苦しくなり、生きにくくなり、楽しくなくなるのです。

今日の聖書には「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを。神はご自分を愛する者たちに準備された」と書かれています。

この手紙を書いたパウロは、イエスが十字架に架かられた意味を深く考えた人です。

イエスが十字架に架かって死んだのは、律法というルールを守ることこそが正しい生き方というバイアスのために、息苦しく生きている人に、立場の違う人を大切にしないことが自分自身を大切にしないことに気づかない人に、そうではないと気づかせるためだということです。

それを清和RUN2021に重ねて考えるならどうなるでしょうか。

走るのはしんどい、つまらない、何の意味もないというのもバイアスです。

バイアスによって、他のこともしんどく思えたり、つまらなくなったりするのです。

そのバイアスから抜け出す、自分を救う方法が1つあります。

それは自分にとって気持ちよく走れる、気持ちよく歩ける速さを見つけることです。

礼拝後の練習を重ねることで、それは見つかります。

風を感じながら気持ちよく走れるスピードがあります。

清和RUN2021という行事が、自分が持っているさまざまなバイアスから自分を自由にする機会にできるのです。

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