礼拝の話

2021/11/17 

11月17日(水)聖書 ヤコブの手紙 4章3節 日本キリスト教団 土佐教会 高橋伸明伝道師

聖書の言葉の中で好きな聖句というものがあるのではないかと思います。

例えば「求めなさい。そうすれば、与えられる」という言葉があります。

今朝読んでいただいた箇所には「願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです」とあります。

つまり、「求めても与えられないのは、自分のエゴのために求めているからだ」と言い換えることができます。

ここの聖書の言葉と「求めなさい。そうすれば、与えられる」という言葉の両方を合わせて考えると、聖書が私たちに教えてくれる「求めなさい」という言葉は、ただ自分の得になることをガツガツと求めなさいという意味ではないことに気づきます。

好きなことをやるのはいいけれど、それがどれだけ他の人にも必要とされていることなのか、どれだけ世の中に対して意味があることなのか、と考えるのも大事なことなのではないでしょうか。

私たちが描くべき夢は、ただどんなことをして自分が楽しみたいのか、だけではなく、自分のしたいことで、どんな人が喜んでくれるだろうか、どんな人のために自分は役立ちたいんだろうか、あるいは、どんなことが本当にみんなにとって必要なのか、ということを考えた上での夢でないと何の意味もありません。

つまり、結局どうやって「自分以外の人への愛をかたちにしてゆけるか」ということが、将来の夢を描く場合の大切なポイントになるのではないか、と思います。

自分の生きてゆく道をしっかりと求めて欲しいと思います。

しかし、自分の利益や欲望のためだけに求める「間違った求め方」ではなく、どんな人のために、どんな風に役に立つことができるのか、ということを考えながら、「正しい求め方」で道を求めてください。

自分の喜びや得になることだけのために何かを求めている人は、結局、他の人と喜びを分かち合うことができません。

自分以外の誰かの喜びをも考えながら、自分以外の誰かのためにも意味のあることを、求め続けてゆけば、きっと、大きな喜びを手に入れることができるはずです。

どうか、自分だけにおさまらない、人と分かち合える夢を追いかけて、自らの進むべき道を求めていただきたいと思います。

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