礼拝の話

2020/11/18 

11月17日(火)聖書 サムエル記上 16章7節 社会科 山脇

今週は人権ウィークです。

私たちを取り巻く社会の中には、様々な人権問題があります。

日本の歴史上の人物で好きな人物アンケートで上位に入る人物が、織田信長と坂本龍馬です。

2人が活躍した時代は全く違うのですが、共通するところがいくつかあるように思います。

まず、ともに時代の転換期に活躍した、新しい時代になろうとする、その時代の変わり目に生きたという点は共通しています。

新しいもの好きという点も2人には共通しているように思います。

信長が生きた時代は、南蛮貿易によって、それまで日本になかった多くの物が入ってきた時代です。

龍馬が生きた時代も、江戸幕府が開国へと向かい、新たな文化が流入した時代です。

2人は新しいもの好きであると同時に、外の世界にも興味・関心を持っていたことが分かります。

もう1つ、共通する点を挙げるとすれば、それまでの常識、しきたりなどにとらわれない感覚を持っていたということでしょうか。

龍馬は、独特な武士の階級制度が残る土佐藩から飛び出し、自由に学び、自由に商いを行うことを夢見、それまでの常識やしきたりにとらわれない、新しい国の在り方を模索していきました。

信長も同じように、過去の常識やしきたりにとらわれず新しい国の形を目指したといって良いでしょう。

キリスト教の布教を認めたことや、海外の文物をどんどん取り入れたこともその一例です。

信長のもとには、キリスト教の宣教師も訪れており、直接謁見することもあったそうです。

戦国時代の日本の様子を『日本史』という書物に書き残したルイス=フロイスは有名です。

フロイス以外にも信長に謁見した宣教師にヴァリニャーノという人物がいます。

信長はヴァリニャーノが連れてきた一人の黒人奴隷に目を留め、彼を家臣として召し抱え、「弥助」という名前を与えました。

信長は182㎝あったといわれるその人の体格の良さだけでなく、外見からでは測り知れない、聡明さや魅力を感じたのでしょう。

残虐な面ばかりが強調される信長ですが、ある意味どのような人にもチャンスを与え、自由で公平な世の中を目指したように思います。

豊臣秀吉は百姓、明智光秀は各地を浮浪していた浪人、その他にも忍者だった人物など、とにかく多種多様な人が家臣として仕えていました。

信長には、当時重んじられていた家柄や血筋、職業などは、さほど重要なことではなかったのでしょう。

あくまでその人を、一人の人として見て、その人の持っている良さを見抜いていたともいえます。

ですから、初めて見る肌の黒い人間も、信長にとってはさほど大きな問題ではなかったのです。

信長の目にはとても魅力のある人に見えたのです。

今から400年以上前、それこそ「人権」という意識が希薄な時代に、信長のような人物が存在していたことに驚かされます。

その人がどこで生まれたのか、また、性別や外見などは、その人のことを知るうえで重要なことを教えてくれる情報の1つでしょう。

しかし、それらのことが必ずしもその人の全てを表しているわけではありません。

その人の思いや考え、その人の持っている良さは、表面的に分かる情報だけでは測ることができないからです。

目に見えない部分を推し量る、相手の心を知ることは難しいことです。

私たちにできることは、相手を想うこと、その人の心をくみ取ろうとすることだけかもしれません。

それでも、神さまが私たちの心を見てくださるように、私たちも表面上だけで判断するのではなく、周りの人の想いに自分の心を向けられるよう努めたいと思います。(

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