礼拝の話

2020/11/19 

11月18日(水)聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章26~27節 英語科 中山

人権とは、「すべての人が生まれながらに持っている自由と権利で、幸福な人生をおくるために欠かすことができないもの」です。

この世の中の人は皆、どんな人種、性別、国籍、民族、言語、宗教、社会的地位でも平等に扱われるべきで、決して、命に関わる危険、人格の否定、身体、精神に損害を受けることがあってはいけないというものです。

1か月ほど前に、レバノンに避難した100万人ほどのシリア難民がコロナ禍で窮地に追い込まれている様子を伝えるドキュメンタリー番組を見ました。

その日を生きるために大人だけでなく、中高生、更には小学生の子どもまでもが働いていました。

中でも10歳くらいの1人の女の子の体験が私の心から離れません。

その子の家では、父親がおらず、小学生高学年のお兄さんが働いて家計を助けていました。

ある日、家の前で遊んでいたはずのお兄さんが、気がつくといなくなっていたといいます。

夜になっても帰って来ず、何日も何日も探しましたが、帰ってきませんでした。

きっと、どこかに居て帰ってくると願っていましたが、お兄さんは、ゴミ捨て場で臓器を取られ捨てられていたのが見つかったのです。

この国では、子どもたちが誘拐され、臓器を取ら、その死体が捨てられていることが珍しいことではないそうです。

人間の臓器が、移植用に高いお金で売買されるので、家族に食べさせるために、その日食べる物を買うお金を得るために大人も自分から腎臓を売る人もいるという話でした。

あまりにも信じられないことですが、世界にはこのような生活を強いられている人たちがいるのです。

こんなことが当たり前に行われている国が、昔々の話ではなく、現在、この地球上で起こっていることを知り、衝撃を受けました。

2017年の調査結果ですが、世界には7080万人の難民、1億5200万人の児童労働者、1億1500万人の若者の非識字者、推定4000万人の”現代の奴隷”つまり、強制労働、強制結婚、人身売買をさせられている人たちがいます。

今の日本では考えられないことで、ふつうのことではありません。

でも、世界にはこのような状況下で生きている人々がいることを私たちは、知ることが必要です。

私たちの身の回りには、彼らが受けているような人権侵害はなくても、いろいろな問題があります。

障がい者差別、部落差別、職業差別、セクハラ、パワハラ、家庭内暴力、性差別、人種差別などの差別の問題、身近なものでは、いじめ、仲間はずれ、インターネットによる誹謗・中傷などあげればきりがありません。

世界中でコロナウィルス問題が起こり、大人、子供関係なく傷ついた人が多くいます。

コロナウィルスに感染したために周囲の人から受けた差別や偏見に関するニュースは、途切れることなく続いています。

人権問題は、私たちの身近で起きていますし、いつ、自分の問題になるかもしれません。

私たちはどのようにこの問題と向き合っていけばよいのでしょうか。

一人ひとりが異なった考え方、生き方、育ち方をしていることを認め、受け入れ、相手の立場に立って感じ、考えてみることが大切だと思います。

相手の立場に立って考える時、差別を受けている人の気持ちが分かります。

そうすると、私たちが取るべき態度が分かってくるのではないでしょうか。

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