礼拝の話

2019/11/25 

11月21日(木)聖書 列王記上 3章25~27節 日本基督教団 土佐教会 成田信義牧師

イスラエル・神の民の統一王国の時代、ソロモン王は「知恵に満ちた賢明な心」を与えられ、栄華を極めた王として、その時代を担いました。

このソロモンの知恵の深さを伝える物語が列王記に収められています。

2人の女性が1人の子どもをめぐって争う話です。

そんなに争うならば、子どもを半分にして与えようというソロモン王に、1人の女性は「子どもを生かしたまま相手に渡してください。殺さないでください。」と、もう1人は「わかりました。半分にして私にください。」と。

王は即座に「殺さないでくださいといった女性が本当の母親である」という判決、宣言をした、という物語です。

この聖書はソロモンの知恵がいかに正義に長けていたかを物語っていると同時に、聖書におけるいのち、いのちそのものに対する考え方がよく表されています。

いのちの大切さを知る人と、いのちを自分の欲望のために都合よく扱おうとする人です。

今日、私たちは聖書が物語るように、いのちの重さをわきまえているでしょうか。

いのちは大切にするものです。

大切にされるべきものです。

それは古今東西変わることのない、いのちに対する神のまなざしです。

その大切にされるべきいのちが、ないがしろにされているとしか思えないニュースがあふれています。

まことしやかな大義名分を掲げながら、その背後で大切にされるべきいのちのために、大切にされなくても仕方のないいのちの区別が後を絶ちません。

これは、いのちの危機です。

それにも関わらず、私たちには期待と希望があります。

いかに歩むべきか、それを照らす光を知っています。

いのちが区別されることのない平和をもたらすために訪れた主イエスを私たちはもうすぐ迎えようとしています。

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