礼拝の話

2021/11/29 

11月29日(月)聖書 ペトロの手紙Ⅰ 1章13節 校長 小西二巳夫

昨日の日曜日からアドベントが始まりました。

アドベントは12月25日のクリスマスの手前の日曜日までの4週間のことで、イエス・キリストの誕生を祝うための準備期間です。

キリスト教はイエス・キリストが救いを必要としている人のために誕生したと考えます。

救いを必要とする人とは、命が脅かされている人、人権が守られていない人、存在が無視されている人のことです。

そういう人は、残念ですが私たちの周りや社会の中にたくさんいます。

クリスマスを考えることは、自分のことを考えることなのです。

クリスマスという言葉が歌詞の中に出てくる曲に「チキンライス」があります。

作曲は槇原敬之、歌っているのはダウンタウンの浜田雅功、歌詞は相方の松本人志が書きました。

歌詞の内容は、大人になってお金をたくさん持てるようになって、買いたいものが自由に買える、食べたいものが自由に食べられる人が、そうではなかった子ども時代を思い出して、その時の気持ちを大切にこれからも生きていこうという感じです。

年に数回の家族での外食の時に、必ず注文したのがチキンライスです。

チキンライスが大好きだったからではなく、家の金銭的な状況を考えてのことだったようです。

松本さんはけなげな子どもであり、子ども時代を慎ましく生きたことがわかります。

大人になってもそういう慎ましさを持つことの大切さが次の歌詞から分かります。

歌詞には「今日はクリスマス 街はにぎやかなお祭り騒ぎ 七面鳥はやっぱり照れる 俺はまだまだチキンライスでいいや」「今日はクリスマス 街はにぎやかでお祭り騒ぎ でかいケーキ持ってこい でもまあ 全部食べ切れるサイズのな」とあります。

そして最後は次のような歌詞で終わります。

「七面鳥もってこい これが七面鳥か 思っていたよりでかいな やっぱり俺はチキンライスがいいや」。

曲の中盤では「チキンライスでいいや」と言っていたのが、最後は「チキンライスがいいや」で終わるのです。

「で」と「が」では思いがまったく違います。

「が」という言葉に、慎ましく、ほどほどに、という優しさが感じられます。

それにしても、松本さんはなぜチキンライスからクリスマスを思い浮かべたのでしょう。

チキンライスは日本発祥の西洋料理で、教会のクリスマス会の定番メニューでした。

きっと、松本さんも子どもの頃に教会に行ったのだろうと想像することができます。

教会のクリスマス会では、必ずイエス・キリストの誕生のお話がされます。

イエスが何のために生まれたのか、誰のためにやってこられたのか、そしてイエスが人々のどのような生き方をすることを求めたかを、松本さんも聞かされたのでしょう。

それが大人になって「チキンライスがいいや」との、物や人をほどほどに受けとめたいとの考え方につながっているように思うのです。

ほどほど慎ましいを、人だけでなくもっと広げて社会全体に当てはめると民主主義という言葉が出てきます。

日本は1945年の敗戦後、民主主義の国となり、それをずっと守ってきました。

民主主義の中心にいるのは、中間層と呼ばれる人たちです。

中間層の特徴の1つに、他の人をうらやむことや蔑むことをあまりしないことがあります。

政治への関心もあり、他の人を犠牲にして欲望を満たすことをあまりしません。

聖書的に言えば、自分が神からゆるされていることを知っているので、他の人をゆるすことができるということです。

ところが今日本は中間層が少なくなり、富者と貧者という二極化が進んでいます。

少ない大金持ちと数多くの貧しい人に分断される社会に変わっていっているのです。

日本をはじめ世界全体が様々な形で、富者と貧者に引き裂かれようとしています。

多くの人が生きる喜びを奪われやすい社会になっていっているのです。

その社会を誰もが生きやすいものに変えるためには、二極化を防ぐためには、様々な場面で、ほどほどに、慎ましくという感性を取り戻すことが必要なのです。

クリスマス、イエス・キリストの誕生を待つアドベントの期間を、まず自分自身が、ほどほどにという思いで他の人に関心を持ち、受け入れ、同時に自分を厳しく見つめる、そうした時にしたいものです。

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