礼拝の話

2021/11/09 

11月5日(金)聖書 雅歌 4章16節 国語科 田野

皆さんは、時間の流れ、季節の移り変わりを、どのようなことで感じますか。

現代では、情報の多さから、様々なことで、時間の流れ、季節の移り変わりを感じることができます。

平安時代を考えてみると、現代より情報量の少ない時代ですが、暦を見て、時間の流れ、季節の移り変わりを感じていた部分はあります。

大切な行事があることで、貴族たちは時間感覚を保っていた部分があります。

しかし現代以上に、自然の様子から感じ取っていた部分は多いようです。

その中でも、「風」から、季節の移り変わりを感じていました。

風によって季節の変わり目を知る、肌感覚が鋭かった人々が多かったものと思います。

『古今和歌集』には、次のような短歌が見られます。

「夏と秋と行きかふ空の通ひ路はかたへすずしき風や吹くらむ」(凡河内躬恒)

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏行)

夏の終わりに秋の側から涼しい風が吹いてくることだろう、とうたわれ、その直後の秋の初めの歌では、はっきりとは分からない秋の到来を「風の音」で感じ取っています。

あまりに忙しくなり過ぎた現代では考えられない、穏やかな様子が浮かんできます。

聖書では、このような穏やかな風は、なかなか吹きません。

植物を枯らす熱風、さまざまなものを一掃する風など、人間が、時間の流れ、季節の移り変わりを感じるような風などほとんどありません。

何かを知らせる、何かを分からせる、といった意味の強いものになります。

その中にあって、雅歌の中にあるものは、不思議と穏やかなものに見えてきます。

雅歌はもともと男女の恋愛詩ですが、神の人間への愛を表現したものとして、解釈されてきました。

それがなんとなくやさしい印象を受ける理由なのかもしれません。

神の力のあらわれとしての風が吹き抜けて、さまざまな香りを振りまく、自然と共に生きている感覚があったということに、はっと気づかされます。

現代はやはり、自然の様子の変化よりも、どうしても人間や社会の変化が気になります。

最新の流行について行く必要はないのかもしれませんが、時代に取り残されることは、やはり苦しいように思います。

しかし無理に何かをしようとして、人との間に「すきま風が吹く」という状況になっていませんか。

このような時こそ自然の様子の変化を眺めることがいいのかもしれません。

自然の様子の変化に比べれば、人間や社会の変化は小さいものだと思えるかもしれません。

心の「風通しがよくなる」ことで、また先に進んでいけると思えたらいいことだと思います。

それでも社会の激しい風にさらされて、行き先が分からなくなってしまった時には、「明日は明日の風が吹く」という気持ちも必要なのかもしれません。

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