礼拝の話

2021/11/09 

11月8日(月)聖書 使徒言行録 10章39~40節 校長 小西二巳夫

10月までNHK朝ドラ「おかえりモネ」がやっていました。

東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼大島を中心に物語は進められました。

大島と気仙沼市内を行き来するためには船を使うしかありませんでしたが、50年来の悲願であった橋が2019年に完成しました。

悲願というのは、ずっと祈ってきたこと、お願いしてきた、という意味です。

橋の完成によって、島の人々は安心して生活できるようになりました。

それをドラマの中では「救われる命が、救われることになる」と表現していました。

このことを通して、橋の存在について改めて考えさせられました。

橋という日本語の語源は、端っこの端に関係しています。

端ともう一方の端をわたす、そこから「橋」という言葉が生まれたようです。

「橋」はその使われ方から、希望や期待を持った言葉になっています。

清和と橋の関係にも特別なものがあります。

それはキリスト教と橋が深い関係にあるからです。

清和は今クリスマスの準備に入っています。

クリスマスは、イエス・キリストの誕生を記念する行事です。

今から2000年以上前、人々は救い主の誕生を待ち望んでいました。

人々にとって救い主の誕生は悲願でしたが、イスラエルの人々がその誕生を願い続けて1000年近くが経っていました。

当時の人々が自覚していたことがあります。

自分たちが毎日の生活と人間関係において苦しい思いをしなければならない理由です。

人々は自分たちの度重なる過ちのために、神との関係がしっかりつながっていない、その自分たちがこの苦しみから解放されるためには、神と自分たちの切れかかっている関係をつないでくれる存在が必要だと考えていたのです。

人々は神と自分たちをつなぐ「橋」の出現を待っていたのです。

神と人間をつなぐ橋として登場してきたイエスが人々に求めたことがあります。

それは一人ひとりが人と神をつなぐ、そして人と人をつなぐ橋になることでした。

さらに人と万物をつなぐ橋になることでした。

万物とは「いのち」あるもののことです。

動物、植物、小さな生き物、自然、すべてです。

人と万物の関係は今たいへん悪いと言えます。

人間の自分中心の考え方や生き方が多くの命を奪い続け、自然を壊してきました。

その結果が、温室効果ガスを大量に排出するために起こる気温上昇と、それによる自然災害の超大型化という形で表れています。

3年前、気候変動に対する政府の無関心に抗議するためにスウェーデンの15歳の少女が国会議事堂前に座り込みをしました。

人と万物をつなぎ直すために、一人で始めた活動が多くの国の政府関係者も無視できない状況を作り出しています。

「おかえりモネ」の主人公は気象予報士になって地元に帰り、人と自然をつなぐ活動を一人で始めました。

クリスマスの主人公イエスも目の前にいる人を救う活動を一人で始めました。

そこで私たち一人ひとりがクリスマスを迎えるこの時期に、自分と他の人、何より万物としっかりつながることを真剣に考えることができたら、1つの橋になることを考えることができたら、今年のクリスマスは一人ひとりにとってたいへん意味のあるものになります。

ぜひそういう時にしたいものです。

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ