礼拝の話

2024/12/05 

12月2日(月) 聖書 マタイよる福音書 7章3~5節 校長 小西二巳夫

11月の初めに大阪のホテルであった高校の同窓会に出席しました。

54年目の同級の同窓会です。

住所不明の人たちの名簿の中に中学高校が一緒で家も近くNの名前があったので連絡し、彼も含めて数名が参加することになりました。

盛り上がった54年目の同窓会でしたが、その中でNが思い出したように中間試験や期末試験の時の話を始めました。

Nとは中2、中3、高2、高3と同じクラスで家も近所でしたが、ふだんは一緒に登校していませんでしたが、定期試験中の帰りの電車は一緒でした。

理由は乗り降りする電車の駅前のレストラン「羆」に寄るためでした。

私たちが定期試験になると必ず羆に寄るのは、羆ランチを食べるためでした。

定期試験と羆ランチをセットにすることで定期試験を楽しめるようになったのです。

50数年前のことを思い出しながらNが言いました。

「小西、お前はいつもしんどいことを、自分の方法で楽しんでいたなあ」。

私は高校のある時から、しんどいと思うことややりたくないことを、あえて楽しんでやるようになっていました。

入学当初「ここではなく別の高校に入学するはずだった」と考える高校生が勉強に身が入るはずがありません。

そうして始まった高1の1学期の中間試験の結果は今でもはっきり覚えています。

保護者面談に呼ばれた母は担任から「このままでは進級できません」と言われました。

家に戻り、机の前に座り中間試験の成績表を見ながら思い知らされました。

自分が実に情けない、そしてつまらない高校生だと。

さらに、つまらないのはその高校ではなく、その学校につまらない生徒がいるのではなく、つまらない先生がいるのではなく、つまらない人の見方やつまらない物の見方をする、つまらない自分がいる、パッとしない私がいたのです。

自分自身がおもしろくない現実を作り出している、楽しくない毎日にしているのだと気づかされたのです。

今日の聖書は、他の人を裁くなという言葉から始まります。

裁くなとは、決めつけるなということです。

一方的な見方をするなということです。

それが一方的な見方で自分を見ることにつながり、つまらない生き方をする自分を作り出すことになるからです。

イエスが言われるように、私たちは一日一日をわざわざつまらなくする必要はない、つまらない人間にならなくていいということです。

私の高校生活は、1年生の1学期の中間試験の成績表を間にじっと考えることから動き出しました。

その日が、終わったと思っていた高校生活の始まりだったのです。

どうすれば目の前のことを楽しむことができるのか、それをまず考えるようになると、それまで思いつかなかったことが思いつくようになり、見えていなかったものが見えるようになりました。

定期試験の学校での位置づけは行事です。

学校行事は普段とは違うスケジュールで特別な時間割で取り組むことです。

学校行事の基本は楽しむことにあります。

私が定期試験中に羆ランチを食べることにしたのは、定期試験を楽しむことの1つだったわけです。

それでは明日から始まる2学期期末試験、これをそれぞれの考えや方法でぜひ楽しみたいと思います。

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