礼拝の話

2024/12/05 

12月3日(火) 聖書 エフェソの信徒への手紙 2章14~16節 社会科 山脇

今週から教会でもアドベント、イエス・キリストの降誕を待ち望む「待降節」に入りました。

学校では一足早くアドベントクランツに火が灯り、期末試験後に行われるチャペルクリスマスを迎える準備をしています。

高校3年生の日本史の授業で、日本のクリスマスについて調べてもらいました。

日本で最初のクリスマスはいつなのか。

キリスト教が禁教となっていた江戸時代のクリスマスはどのようなものだったのか。

日本でクリスマスが広まったのはいつ頃なのか。

海外のクリスマスと日本のクリスマスはどのような違いがあるのかなど、いくつかのテーマに沿って調べてもらいました。

先月の公開授業の際に調べた内容を発表してもらいましたが、その発表を聞きながら「そうなんだ」と新しい発見がたくさんありました。

イエス・キリストの誕生を私たちはなぜ喜びとともに迎えるのか、今日の聖書箇所にはそのことが記されていました。

この手紙を書いたパウロは、イエス・キリストが「わたしたちの平和である」と記しています。

イエス・キリストの存在が「わたしたちの平和」の源であるとパウロが記したのは、その存在が誰かのためではなく、全ての人のために与えられた存在だからです。

イエス・キリストは私たちの代わりに十字架に架かり、その罪を贖ってくださいました。

そして三日後に復活されたことで、私たちに新しい価値観を与えてくださいました。

それは、全ての事柄が絶望で終わるのではなく、必ず希望が与えられるという価値観です。

その希望の源であるイエス・キリストの十字架を通して、神は敵意という壁を取り壊し、対立する人々を一つの体として神と和解させ、敵意を滅ぼされた、とパウロは言うのです。

なぜイエス・キリストの誕生を感謝し、礼拝するのでしょうか。

それはイエス・キリストが十字架に架かってくださったことで、私たちの罪が赦されたことと、それでもなお思いと行いで罪を犯す私たちの心を、今も時に諫め、支えてくださっているからだと思うのです。

絶望や失望を抱いてしまう時にも、その先には必ず希望があるということを、イエス・キリストがその身をもって示してくれたからだと思うのです。

クリスマスは私たちにとって喜びの日、平和の源となる日です。

そのクリスマスを喜んで迎えることができるよう祈ります。

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